えがにき
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2002年03月06日(水) |
タワーリングインフェルノ |
その昔、テレビで吹き替えがついて放送される映画をよく観た。親が見るので一緒になって観ていた。夜の9時から始まると、子供が起きているのには辛い時間になるが、最後に再びあの淀川さんが出てきてお決まりの挨拶をするのを見るのが嬉しかった。最後まできたという達成感があったのかもしれない。
『タワーリングインフェルノ』(1974)その頃観ていたと思われる中で一番記憶に残っている映画。しかし、ストーリーはほどんど忘れていた。
なんとなくの懐かしさでDVDを借りてきた。自分のパソコンでこの映画を観るなんてあの頃想像もできない未来が今なのだろう。トレイにDVDをセットするとDVDプレイヤーが起動して画面が液晶に映し出される。
なんてことだろう。この映画が高層ビルを舞台にした脱出劇だということはもちろんわかっていたはずだったのだが、意識していなかった。意識していないというのは、画面を観る私のうろたえようを私自身が感じたことでわかった。
ショートした火花が燃え移りしだいに火の手が広がってゆく。炎の恐ろしさ、取り返しのつくことが取り返しのつかないことになり、覆い隠していたものがあからさまに隠しようもなくなる。人と人の絆、それぞれの人間模様、エゴ、勇気、男と女。
生き残るものあり、生き残れないものあり。今であるからかも知れないが、衝撃的だと思うシーンがいくつかあった。敏感になりすぎているのか。こんな直接的にかかわりの無い私でさえ思い出してしまうことはあまりにも重すぎる。(DVDには165minと記されている、もしかしたらテレビではカットされていたのか)
最後のセリフ、背筋が凍るようだった。
人間は何を目指しているのだろう。そんなことをしばらく考えた。
映画はきれいごとだけではない、生活を、人間を、映し出す。そこに自分という人間が生きなおせる過程を映し出している場合がある。与えられるものではなく何をそこに見るか。さらに見い出すか。
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