| 2006年10月30日(月) |
平日の平穏/シャッター |
平日の、この人の居なさ感がいいんだよなぁ。 土日休みの人には分るまい。 ダンボールひとつ捨てにいくのも、るんるん♪だ。
朝はあれだけきらきらしていても、 午後になったら寸分漏らさず ゆるやかな光になる。 ひと粒ですら見捨てることなく、です。 だから一秒の隙間にも忍び込んで、 午後の川沿いなんてことのほか 時間はゆっくりになるの。
今朝、田万川地区に入ったところ、 いつもはすぃーっと通り過ぎてしまうような、 普段めったに止まらない信号機のところで、 めずらしく止まった。 小学生の兄弟が二人(形が似てたから多分兄弟) 信号をわたって、車の右手側に見えたら 元気良く二人して走り出した。 おにーちゃんのほうはなぜか花束を片手に持って だーーっと走って、 おとうとはその後ろを ぐわーって追いかけていった。 花束かぁ。なんだかふしぎな光景。 転校していくクラスメイトにあげたりするのかな、 転任になる先生にあげるのかな。 この時期だと教育実習の先生にあげるのかもしれない。 けむる朝の光のなかで、花束と、 きっちり黄色帽子をかぶった詰襟の 無邪気すぎる小学生の男の子、っていう すてきな画なのでした。 瞬間的にカメラに納めたい、と思う枠があったけど、 もう手遅れだった。 それにロモは今モノクロフィルムが入ってるし、 カラーで撮ったほうが朝の柔らかい光の感じが出そうだったし。 正直言うと、瞬間を逃したこと、もったいないって思ったけど、 まぁ撮れなくてもいいかぁとも思うのは、 ワンダフルな瞬間に出遭えたことと、 「写真に撮りたいな」と思う気持ちとが、 交差するその接点に立てたということは意味があるから。 きっとそう!次にカメラを手にしてるときには きっと逃しはしないでしょうし、 過ぎていって二度とは来ない瞬間は 形がないからこそもっと心に焼き付ける、 そう、こころのなかでシャッターを切っているということです。 カメラを手にしてなくても、 心の中でフレームを作ってみる。 心の中の小さなでっぱりに引っ掛かった 在るか無いかのような感性を、 自分自身でみつめなおしてみる。 シャッターを切るっていうことは、そういうことのような気がした、 フィルムに焼き付ける時も、 心に焼き付ける時も。 写真を撮ってなかったら 出遭えなかったすてきな瞬間がいっぱいあったよ。
なんかどこかでケータイの着メロみたいな 薄っぺらな音で 第九がきこえる。 子供たちの声もきこえる。 午後は間延びしてしまった。
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