もうATUは全快に近いくらいに回復してきている。 幸か不幸か、わたしは今までの人生で大きな病気に出会った事がない。 自分であれ他の人であれ、 手術とか入院とかで深刻な事態になった事がない。 それがない代わりに、不謹慎な言い方になってしまうが、 手術や入院といった以前に、死んでしまっている事の方が多くて、 生きる事に心を砕くと言うことより、お棺の横で涙する事の方が多かった。 そんな故か、山や谷を越えて生き抜いていく、 と言う事に疎い致命的な癖がついてしまっている。 死は常に身近にあった。 乳母さんの親戚の法事に始まって、 まだ幼稚園前の幼い頃から身近にあった。 人はひょんな事で死んで、 突然、芋や灯籠と同じような物体になってしまう。 そして、そこから抜け出た霊や精霊が、 四辻や提灯に宿っていたりしていた。 でも今回は違った。ATUはちゃんと生還してくれた。 大きな病気で療養した事のある方なら、 随分と大袈裟なことを言う人だ。とお思いになる事だろう。 でも、なにしろ病院と言うものにも馴染みがなかったし、 相談できる人も身近にいなかったので、当初は一人で随分と心細かった。 近辺に知り合いがいない代わりに、友人がメールで励ましてくれていた。 帰ると、眠くてクタクタになるまでパソコンの前にいた。 勉強しようと、ソフトを立ち上げはするものの、 何も建設的なことはできずに、誰かのホームページを訪れる訳でもなく、ぼーっと座っている事が多かった。 完全看護とは言え、洗濯や細かな身の周りの事は 自分がやらなくてはならないので、 手の回らない部分は家族がやる事になる。 朝か夜に洗濯して、干して、病院に寄ってからパートに行って、 パートが終わると洗濯物を取りに帰って、多少の買い物をして また病院へ行き、9時の消灯まで居る。 と言う生活が手術後しばらく続いた。 電話で話す時間もない状態だったので、メールが一番有り難かった。 猫はちっとも相手にしてもらえないので寂しいのか、 まとわりついて、噛み付いてばかりいた。 でも、顔見ると思いつめたような表情をしていて、 噛む時も両手で抱き締めるように噛むので、それも心が痛んだ。 ほんとうは、その時その時を毎日書き留めておくつもりだった。 でも、どうも根気と才に恵まれていないからか 進行している間は書く事ができない質のようで難しかった。 なので今、少しづつ思い出しながら遡って書き始めている。 自分でもおかしいくらいに不安だった。 反動なのか、最近、意外にも ポストペットの新しいバージョンにはまってしまっている。 結構凝った作りで面白い。 こういう可愛いものに、ホッとする回路が今はできているみたい。 ところがこれって、やり取りする人がいないと詰まらない、 知り合いには、こういうのやる人居ないので 友人にメールで薦めたら、こんな事言ってきた。 ちなみに、可愛くてもやりません。 隠れて少女マンガを読むことはありますが、 いくら何でもポストペットでメールを打っているところを 後ろからのぞき込まれるのはいやです。 ・・・・わたしには50過ぎたオジサンが、少女漫画読んでる方が よっぽどナゾだし、それに、只今独身の彼の後ろから、 いったい誰が覗くと言うのだ、と言ってやりたい。。。 でも、なによりもっと言いたいのは 彼のMacのデスクトップ画面は 「安室奈美恵ちゃんじゃないか〜」ということだ。
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