御礼参りに母が行ってきてくれた。 「ずっと気になっていた」とのこと。
12年前だわよww 来週でアキは12歳だからね。
安産祈願には・・ 長男の時には、仕事をしていてなかなか行けなかった。 次男の時には、つわりが楽なときを見計らって行った。 三男の時には、長男次男の世話で私は行けなかった。
・・・ような気がするw
安産祈願で水天宮の腹帯が3本。 どの子のときも何本か準備をして、毎日洗って、びろびろびろ〜んと干してww
腹帯は、さらしを巻いていたなあ。コルセットみたいなのは使わなかった。持っていたけど・・・。
アキは、生まれたときに臍が奇形で私が退院したあともひとりで入院をしていた。アキを置いていくって決まって毎日泣いたっけ。転院かも・ オペかもって言われていたし。びくびくの毎日。
でも実家からダッシュで30秒で会えるのでw 日赤からよく電話がきた。 「びぇええええ(←アキの泣き声) お母さん!おなかすいたって!」
毎日、何度も授乳に通う。完全母乳だったので忙しいww 長男次男の世話をしつつ、実家に世話になりつつ、授乳w 夜中は看護師さんがあげてくれていたけれど、私の冷凍母乳。 でも夜中、アキが泣いているだろうという時間には、母乳が張って出てくる。起きて搾乳。搾乳の方が時間がかかるから面倒だったww 搾乳をせずに、ぐっすり寝ちゃうと、布団が母乳でびちょびちょ。 10月末だったので・・ぶえくちっ!とくしゃみをして、冷たくて目が覚めたっけ。 アキは1週間後くらいに退院したけど。すぐ自宅に戻って、三人の子どもと私、旦那との生活が始まった。
ま・・そんなこんなで、忙しくて「ありがとうございました」ということを 気になりつつも・・忘れていた。
母が、思い立って先日水天宮に行ってきてくれたらしい。 お願いをしたお産を無事なしとげることができた、私の名前でお礼参り。 そして、どうぞ・・と受けたのが、このお守り。
赤ちゃん(アキ)の名前を書くことはなかったから、たぶん「母親」になった貴女のだよと母に言われた。
そうだ、私は「母親」という生き方を選択したんだった。
しょうがない、この程度の生き方(生活)しかできないんだ。
「先生」が保育園に子どもを預けて、他人の子を教育っていう同僚をみて、なんか違うと思った。 自分の子どもにます教えるのは「先生」ではなく「母親」だと思った。 だから「先生」をやめて、「母親」だけになった。
母親が家にいなくてもお金があったほうがいいと息子たちは思ったかもしれない。でも、しつこいくらいにかかわってきたw もう少し、我慢して私に子育てをさせてほしい。
私の選択が間違っていないといいな。
「母親」としての私を守ってくれるのかな・・・。 このお守り大切にしよう。
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