早瀬の呟き日記

2007年07月17日(火) 十手はめぐる

しばらく放っておいた「THE 鑑識官2」をやり直して、File8を出しました。査之介ファン向け番外編といった感じ。
2では芦茂さんと識子ちゃんの仲に多少の進展があったような感じですが(みずほちゃんと一緒とはいえ夕食一緒に行ってるし)、意外と古畑×識子や物部×識子もアリですよね。「このオヤジ殺しめ」とか(笑)
南科研で女性はシモーヌさんと識子の2人だけなので(金ちゃんは年齢的に対象外)、彼女にももうちょっとなんかあってもよさそうなもんですが、シモーヌさんには浮いた話ないですねえ。あれ? 1では芦茂さん、彼女口説いてましたっけ??(汗) なんか彼女は既にステディがいそうな気がしますね。
そういや、今回植木さんの出番が少なくて残念です。やはり前回出すぎましたか。
うーん、なんか「鑑識官」SSを書きたくなってきました。

ここのところ若干ネガティブモードであまりよろしくないです。
ぱっとしない気分です。
本来喜んでいいようなことも、なんかびみょーな感じで。
切り換え切り換え、と自分で言ってみる。

とか言ってたら、とある日記(というかエッセイ)が目に留まったのでちょっと。
頑張り屋さんは、頑張らない屋さんが嫌いである。
頑張らない屋さんも、頑張り屋さんが嫌いである。
片方は「なんであいつら頑張らないんだ」と非難し、片方は「なんであいつらそんなに頑張るんだ」と非難する。
ここに、労働現場の悲しい齟齬が生まれる。
これは社会全体に対する目線にも言えて、ニートだのなんだのを非難する人の大抵はこのパターンである。
要するに

「俺はこれだけのことをやった(苦労した)のに、あいつらは怠けている」

実際に社会的リソースを負担しているならまあ仕方ないが、全然関係ない件に関して「あいつらは頑張ってない」などと言うのはお門違いという気がする。
いいじゃないか。自分が頑張ったなら他人なんかどうでも。
もっとも、「お前は頑張ってない」と非難するのが正当な場合もある。
その当人と何らかの個人的関係を結んでいる場合である。
別の言い方をすると、両者の間に教育関係が成立する場合である。
つまりそれは、個人関係でしか許されないと私は思う。
社会的に「頑張り」という概念を広げた途端、それはあっという間に恣意的に人を選別し狩ってゆく動きになりかねないからだ。
弱い者が弱いままに生きていくことを許せる社会は豊かだし、それを許せない社会は貧しいのだと思う。
今日本に「頑張らない奴」を非難する人が多いとしたら、やはり社会のどこかが確実に貧しいからだろう。


 < 過去  INDEX  未来 >


琳 [MAIL]