本日、高3の試験。 全員が黙って問題に取り組んでいる姿を見ながら、自分が手にしている「力」のことを考えた。 それは私自身の持っている力では全然ないが、そういう「立場」にあるということで、それを彼らのためにどう使うかが問題なんだと、ちょっと怖くなったのだった。 数十人の人間が一斉に同じことをする、させる立場にいるということ。 その責任というのか、嫌われるとか好かれるとかを超えて、彼らに何がしてやれるのか、まだ見えてこないけれど、そうしなければいけないんだな、ということは感じた。
”労働というのは、本質的に「私ならざるもの」に対する贈与である。 だが、それは「私ならざるもの」が実は「私自身」であると勘違いしなければ成立しない。”
いつもながらウチダ先生は含蓄のあることをおっしゃる。 そう、この「勘違い」に一役買うのが給料なわけだ。
とか真面目なことを言いつつ、行き帰りの電車で「押忍!闘え応援団」をやっている。弟の友達が貸してくれたんである。 なかなか難しい。でもやるとハマる。どーも私は「ココロオドル」みたいなラップ系が苦手。
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