早瀬の呟き日記

2007年04月07日(土) 『太陽』

天皇、その孤独とイノセンス(というフィクション)。
まず、本作品は戦争ものや歴史ものでは全くない、という感想を持った。
描かれているのは「昭和天皇ヒロヒト」という形式を借りた、誰しもの中にある孤独であり無責性である。
それは、作中のマッカーサーが彼と対面して言う「子供のようだ」という台詞に集約されている。
子供は孤独で、イノセントである。
誰にも理解されず、行動の責任を負わない。
いや、負ってはならない。
日本の天皇は常に、イノセントな存在であることを含んでいた。明治天皇のように政治的調停者として働く例もあるが、大概の場合、天皇は時の権力者が祭り上げる「大義」であり、名目である。
そして、日本の歴史は常に「それ」を必要としてきた。
忘れた頃にやってくる「それ」。
都合のいいときに引っ張り出される「それ」。
最後の最後で有責性をかぶる可能性として、「それ」は存在し続けてきた。
しかし、可能性としての有責性は、決して実現されないからこそ可能性であり続ける。
昭和天皇が戦犯にならなかったのは、まさにそれによる。
天皇は、責任を取ってはいけないのである。
責任とは、主体性ある者だけが持つものだからだ。

というのは、実は本作品とは全然関係ないことである。
本作品はむしろ不条理コメディと言った方がいい。
前半はさっぱり盛り上がらず、また、主人公が独り言を言っているけど何言ってるかわからん、という少々我慢を強いる展開なのだが、何故か、見終えた後妙にイッセー尾形のヒロヒトの真似がしたくなるのである。うっすらと漂う哀しいユーモアがいい味である。
なお、こう言っては不謹慎だが、空襲のシーンがまるで宮崎駿作品のようで美しかったのがなんとも印象的。

吉井さんの武道館DVDが来ました。うーかっこええわあ〜!! 好きだわあ。


 < 過去  INDEX  未来 >


琳 [MAIL]