天皇、その孤独とイノセンス(というフィクション)。 まず、本作品は戦争ものや歴史ものでは全くない、という感想を持った。 描かれているのは「昭和天皇ヒロヒト」という形式を借りた、誰しもの中にある孤独であり無責性である。 それは、作中のマッカーサーが彼と対面して言う「子供のようだ」という台詞に集約されている。 子供は孤独で、イノセントである。 誰にも理解されず、行動の責任を負わない。 いや、負ってはならない。 日本の天皇は常に、イノセントな存在であることを含んでいた。明治天皇のように政治的調停者として働く例もあるが、大概の場合、天皇は時の権力者が祭り上げる「大義」であり、名目である。 そして、日本の歴史は常に「それ」を必要としてきた。 忘れた頃にやってくる「それ」。 都合のいいときに引っ張り出される「それ」。 最後の最後で有責性をかぶる可能性として、「それ」は存在し続けてきた。 しかし、可能性としての有責性は、決して実現されないからこそ可能性であり続ける。 昭和天皇が戦犯にならなかったのは、まさにそれによる。 天皇は、責任を取ってはいけないのである。 責任とは、主体性ある者だけが持つものだからだ。
というのは、実は本作品とは全然関係ないことである。 本作品はむしろ不条理コメディと言った方がいい。 前半はさっぱり盛り上がらず、また、主人公が独り言を言っているけど何言ってるかわからん、という少々我慢を強いる展開なのだが、何故か、見終えた後妙にイッセー尾形のヒロヒトの真似がしたくなるのである。うっすらと漂う哀しいユーモアがいい味である。 なお、こう言っては不謹慎だが、空襲のシーンがまるで宮崎駿作品のようで美しかったのがなんとも印象的。
吉井さんの武道館DVDが来ました。うーかっこええわあ〜!! 好きだわあ。
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