| 2005年03月05日(土) |
何故、リーマンBLはハッピーエンドなのか? |
「(略)出世の可能性を見切って、将来にわたっても男性と同じ立場に立つことはないと確信しているOLのみが、上司に取り入る男性の卑屈な態度を笑うことができる。仕事の評価を気にしない女性のみが、無責任な行動を取って男性をいらいらさせることができる。OLの抵抗の行為の前には、制度への協調と服従がある。OLの抵抗は『協調的抵抗』なのだ。」
――『OLたちの<レジスタンス> サラリーマンとOLのパワーゲーム』(小笠原祐子/中公新書/1998)
ここで言う「OL」とは一般職女性のことである。(本書では対象から外されている総合職女性や、技術職・準総合職などの中間的な職階の女性についての研究も重要だと思われるが、申し訳ない、まだ読んでいないことをお断りしておく) 著者は、企業内における「女の子」の扱いが総合職男性のキャリア・評価にとっていかに重要な要素となっているか、そして、それを逆手に取ったOLの「抵抗」行為をインタビューとフィールドワークでの実感から描き出している。期待されていないからしたくない仕事はしない、評価されないから意地悪もできる、という具合である。競争から下りた者のみが、競争に参加している者の足を、失うものなく引っ張ることができる。こうした行為はしかし、「下りる」ことのできない(するつもりのない)女性にとっては、苦々しいものでしかない。彼女らの行為によって「女は感情的」「女は使えない」という偏見が強化されてしまうからである。 早い話、妊娠・出産・育児・家事の全てを負わない人間=「専業主婦に支えられた男性」を基本単位にして産業が成り立っている以上、女性は何らかの形でハンディを負わざるを得ないのであって、言ってみれば「女やめますか、それとも一人前の社会人やめますか」という二者択一なのだ。両方ともこなせるパワフルで有能な女性もいるが、そういう「パーフェクト・ガール」像を私は他人に押しつけたくないし、自分に押しつけられるのもごめんである。無理だし。それをやるなら、「魅力的な男性にして有能な社会人、そして良き夫であり良き父親」という「パーフェクト・マン」を男性の規範にしてもらいたい。ちなみに、この「パーフェクト・マン」は言うまでもなくボーイズラブ(特に学園ものとリーマンもの)における攻の典型である。(「父親」の部分だけが除外されているのは、BLが「永遠のカップルロマンス」だからであるが、「金持ち」というのは「いい父親」の一条件であるような気もする) ボーイズラブにおいて、学園ものと並ぶ人気ジャンルであるリーマンもの(周知のごとく学校と企業は近代の二大訓練装置であり、本質的に同じものと言ってよい)には、共通点がある。攻はエリート(役員、外国育ち、東大卒など)で、受はエリートかそうでないかに関わらず、真面目に勤務しており、決して不良社員ではないことだ。初期JUNEからの伝統としてボーイズラブ作品には女性が登場することは滅多にないが、それは、形式的には業績(成績)で一元的に価値付けしながらもインフォーマルな生活空間では男女の性差を消し去ることのない(むしろ固定さえする。生徒会長が女子で副会長が男子という学校は今でもそう多くない筈である)学校・企業という場所への意識的・無意識的な「協調的抵抗」の眼差しである。(「男が構成の基本単位なら、恋愛で選別の視線を受けるのも男でいいんじゃないの?」という訳だ) 例外を除き、これらの作品に女性キャラが登場する場合にはその扱われ方はかなり冷淡で、殆ど作品内ハラスメントの様相を呈している。もしも書き手が男性であったらフェミニスト達の攻撃は免れないであろう。私が読んだ限りにおいて、リーマンものにおける女性キャラの描かれ方は ●外見を飾ること、男をゲットすることに熱心 ●仕事をしている様子がない、あるいは無能か無責任 というものであり、これは、<レジスタンス>をする一般職OLの姿と酷似していないだろうか。彼女らは、ストーリー上攻や受にアプローチをしてくることがあるが、結局は破れる運命にある。リーマンものという「協調的抵抗」と、OLたちの<レジスタンス>はその担い手間の分断を推測させる。 何故、リーマンもののBLが大抵ハッピーエンドなのか。 それは、「協調的抵抗」が結局は「抵抗的協調」にすぎないことと無縁ではないだろう。「不良社員Aと不良社員Bが恋に落ち、2人で会社を爆破する計画を立てる」物語は、恐らく「リーマンものBL」の範疇には入らない。(上手く書けば受け入れられる可能性はあるが)まして片方が非業の死を遂げ片方が孤独のまま残されて終わり、では尚更である。 受と攻は、あくまでも会社というシステムの中で幸せにならなければならないのだ。 もっとも、「お約束」がマンネリとなるのはエンターテインメントの宿命であり、そこからの脱出策として「専門職業もの」というジャンルが存在する訳だが、それにしても何故そこまで「職業」が重要なのか、と思う。それも「イメージとしての職業」が。 要するにBL含めたやおいというジャンルそのものが、「抵抗的協調」であるということなのかもしれない。
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