早瀬の呟き日記

2004年05月06日(木) ニーチェで笑う方法

土屋賢二氏のエッセイにハマっていると前に書いた。読みながら爆笑できる本というのはあまりないので、お笑い番組と弟だけを心のオアシスにしている私には大変貴重な品である。
余談だが、東野圭吾氏の「超・殺人事件」(新潮文庫)も爆笑ものなので、ミステリを愛する全ての方にオススメする。更に余談だが、弟に「他人から本をすすめられるとそれだけで面白さの何割かが失われる」という森博嗣理論を示したところ「そんなことはない」と言われた。つまり森博嗣理論に賛同する者は天邪鬼らしい。
さて、土屋賢二氏である。読んで面白いだけでも十分なのに、本日私は予想外の副作用、ではない、波及効果を発見した。その確認は以下の手順を要する。
1.土屋賢二氏のエッセイを読む。「赤い月」の中村獅童がまったく「暗い眼の美青年」に見えなくても気にせず読み続ける。
2.少々飽きてきたところで、「続きはまた明日」にする。
3.ニーチェの「アンチクリスト」の序言を読む。(日本語が望ましい)
するとあら不思議。哲学の巨人、明晰すぎて危ない人、悩めるニーチェの難解で峻厳な文章が爆笑ものに変わるではないか。数年前に買い、読破できずに本棚の飾りになっていたニーチェの本(同様の運命にフーコー、ボードリヤール、ヴィトゲンシュタインなど)がなんと、笑えるのだ。冒頭はこんなふうに始まる。
「この本は、ごく少数者むきの書物である。ひょっとするとこの少数者のうち、唯の一人さえ、まだ生まれていないかもしれない」
あろうことかニーチェ先生は、「僕の本は売れない。ひょっとすると唯の一冊も売れないかもしれない」と弱気になっているのだ。この後もくよくよとニーチェ先生は弱気である。「僕は真面目に書いているのだが、読者が理解するには山籠もりをして頂きたい」などと回りくどい言い方をして自分の弱気を逆手に自虐ギャグ(略して自ギャグ)に仕立てている。これは笑わなければ失礼であろう。この笑いの作り方は土屋賢二氏と一緒なのだ。私は今まで勘違いをしていた。ニーチェは眉間にシワ寄せて読むべきではなかったのだ。ありがとう土屋先生。


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琳 [MAIL]