黒武日記
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 詩人は詩を書くから詩人なのだ
2006年06月16日(金)

 はい。黒武です。本来ならば、こんな事してる場合ではないはずです。
昨日の夜なんて無意味に頭の中で自分の死について妄想してました。何回死んだかわかりません。所詮幻想です。逃避行為もここまで典型的だと自分がさらにいやになります。
 
 あー・・・銀蔵〜・・・。難しい問題だよな。
拙者のいとこは迷ったあげく結局、その道を進んだようですよ。
「Eちゃんとはあわない」と私は彼女に断言されているので、性格上そういう道に進む人からみたら許しがたいタイプではあるとは思うんですが、そういう道へ進む人への憧れだけはモリモリにありますよ。
 はい。ただ憧れと実現の違いは、その行為自体を楽しめるかどうかなのかな〜と思ったのが、中原中也だかのことについて書いてあった評論の中の一節でして。「中也とは詩を書くまえに詩人になろうとした人間なのである。詩を書くから詩人なのではなく、詩人が書くものが詩なのであった。本来は、逆のはずである。いい詩を書くからいい詩人なのであって、詩をかかない詩人などというものはありえないのだが、中也はまず「詩人」になってしまおうとしたのである。」詩よりも死んだ後の人物の生き様が書かれた本の方が売れてしまう・・・というアレですな。生きてた頃は相当にお寒い人だったろうし、本人も辛かったろうというタイプですな。
この批評、ボードレールを引き合いに出してきて、「ボードレールといえばすぐ思い浮かぶのが悪魔主義、耽美主義、デカダンスといった言葉を語るよりはマシである。ボードレールがいかに、平たくいえばまともな人間であったかは、例えばその「青年文学者への忠告」などを読めばあきらかなのであるが。」推理小説化が人殺しをするタイプであることは、まずあまり無い。ってアレですな。
 その芸術と人間性はしばしば反するものである。って皮肉があるように、その芸術は素晴らしいが、その生き様はまねしないほうがいい人間が沢山いるのに、生き方から入っていらない苦労したのが中原中也であると。まあ、そんな事だと思うんですがね。アーサー・シモンズが「経験は何ものもヴェルレーヌに教えなかった。」って言っとる。気持ちだって分かるか怪しいが、どうしたらいいかなんて更に学ぶことはないだろうね。
 なんてーか・・・そうなろうとする為の覚悟とかテンションだとかベクトルだとかいう構えよりも、やっててソレが不安だろうがなんだろうが行為自体に苦痛が(生み出す苦痛はあるでしょうが〜)なければ、向いてるんじゃないのか。「成りたいと思うとき、人はもお、すでに半分成ってる」とかいうこと言ってる成功者もいるしさ。そうする事が苦痛なのか、そうある事が苦痛なのか。かな・・・。ゴメン。結局。金とか生活に目がいくよね・・・。しかし、この手のこと語りたくても、能力のなさでお寒いことになってる人とかに比べたら銀は銀のやりたいようにやっていいんじゃないのか。もう、しばらく。続けられるなら。続ければまた道も開けようものじゃないかね・・・。あ〜・・・確かにメジャーデビューするバンドがどれほどあるんだって・・・考えるとな・・・。


 めっちゃ迷える子羊なんで・・・言える事がないよ・・・。
ゴメン。あー・・・。






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