Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2007年04月02日(月) 絶望の淵にて

此のように忙しい時に限ってマシントラブルが約束事。
アナログな方法を駆使して、ホームページを無理矢理更新して安堵したのも束の間、今度は本格的にプリンタドライバが遣られた。
こうなる気配は一昨日から漂っていた。

さて、散々四方八方手を尽くし、絶望の淵までやってきた午前5時半。
他にもやらねばならぬことが山積みで、其のことを考えただけでも絶望の淵をまたいで越えてしまいそうだ。今日のところは此のようにして日記を書くことで憂さ晴らしをしたうえで1時間でも2時間でも休もうと思う。

久々に花柳先生の稽古場へ向かう。
先日、日舞仲間と久しぶりに会った。
その際に「私、あまりに久しぶりすぎて、浴衣もまともに着られなくなっていそう…」とこぼした。2月の舞台のことやらがあって、結構長い間稽古を休み続けてしまったため、不安でならなかったのだ。
先輩たちに「大丈夫」を沢山言って貰い、どうにか前向きに。
が、やはり、稽古場のドアの前に行くと「振りを忘れていたらどうしよう…」「ご挨拶や礼儀でうっかり失礼をしてしまったらどうしよう…」と次々と不安が押し寄せてくる。
勇気を振り絞って稽古場へ。
本当に久しぶりに着物を着るのだが、やはり数ヶ月着ていなかっただけで感覚をすっかり忘れきっていて、思うように腰紐が締まらない。帯が気持ちよく結べない。お端折りがもたもたして不細工。右前で着なかっただけマシと思いたい。
稽古はギャラリーも一切ない個人稽古。私の一番苦手とするパターンだ。兎に角緊張するのだ。
数ヶ月ぶりに踊る常磐津「汐汲」は、忍耐力を必要とする静かながら苦しい踊り。
三味線の音が懐かしく響くなか、師匠についてもらい浚ってゆく。

稽古が終わり、師匠に「久しぶりなのによく覚えていたわね。」と褒められて、ようやく背中の力が抜けた。

時々思うのだ。どうしてか、この「緊張感」がたまらなく好きで、張り詰めた空気の中、足袋を滑らせるのが快感にさえ思うのだ。
ダンサーはマゾヒスティック。其れは確実なことに思える。
自分自身を追い詰めて、痛めつけて、何らかの答えを見いだすのだから。

日本舞踊に於いては、余りの緊張に、普段の雑多な事もすっかり忘れきる。
いつもの動きとは間逆の、小さく、繊細かつ静寂な動きは、自分の中に有る日本人としての心を思い起こさせてくれるのだ。自分のルーツを感じる瞬間でもある。

足袋の小鉤をとめ、舞扇子を置いて、正座をし、ゆっくりと手をついて挨拶をする。
そのひとつひとつの動作の度に、自分自身に戻るスイッチがひとつひとつ入ってゆくのを感じる。
矢張り、日本舞踊が好きなんだと、再確認。

眠る前に、もう一度、今日踊ったのに馴染めなかった部分を浚っておきたい。


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