Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2006年07月06日(木) 芸者の記憶

『SAYURI』がDVDレンタルを始めたので、早速観てみる。

此処より先は、作品についての個人的感想なので、批判などを読みたくない方は御覧にならぬように。

まずは、外国人の考える「芸者」を含む日本文化の認識の甚だしい誤解に落胆。当然、然程の期待は寄せていなかったが、想像を上回る「ちんぷんかんぷん」さに腹立ちを越え、笑いが込み上げるほどだ。
少なくとも、日本の伝統文化を学んでいる方は御覧にならないほうが精神衛生上宜しいのではないかと。

母と一緒に鑑賞したのだが、母は途中で席を立つほど。

抑、チャン・ツィイーが主演をするということで「はあ?」と思ったのだが、渡辺謙や桃井かおりなど、魅力的な役者さんが並んでいるのだから、もしかしたら想像よりも満足いく作品なのかと少々思う部分はあったのだ。

しかし、あの様な作品を作るうえで、日本舞踊のシーンにおいては日本舞踊の師範を頼んでいることだろうし、「芸者」ということについて、多少なりとも事前にリサーチをし、誤解のないように工夫をしたのではないのか?
誰もアドバイスしなかったのか?
それとも、誰も知らなかったのか?

先ずは、日本舞踊を稽古すれば、一番最初に振りを習うまえに「立つ、座る、挨拶する」という原則を教えてもらうものだが、その基本中の基本でさえNG。私の日舞の師匠が観ていたら「何をやってるんだい!」と激怒しそうだ。日舞のシーンは特に稽古については「ジャズダンスのレッスンじゃないんだから、、、、グループレッスンってどういうことよ?」と突っ込み、手先の使い方や首の付け方もついつい突っ込みまくってしまう。
たぶん、バレエをきちんと観たことがあったり、レッスンしたことがある人が「爽健美茶」の膝曲がりグランフェッテ・アントゥールナンを観て「ひぇぇぇぇ」と声にならない悲鳴をあげたような虚脱感に見舞われる。

着付け、衣装、ヘアメイクが最低最悪。
完全に「お女郎さん」と「芸者さん」とを一緒にしてしまった「トホホ」なもの。

日本の文化には、ひとつひとつ、きちんとした理由や意味がある。
それは私たち日本人が現代、普通に生活していても、ところどころに感じることができ、また、日々、其れを楽しんだり、慣れ親しんでいるものだ。

善い。
どうせ外国人の作った「憬れのオリエンタルスタイル」なのだから。

ただ、不思議。
ウエストにギャザーの寄った着物。
それは「姫?」なのだろうか、あり得ない髪結い。
しかも、お座敷で髪おろしているし。
それに、日本の女性はたとえ貧しい時代であっても、気高さは保っていたし、男性との交わりについて気軽なものでは決してなかった。
笑えるのは「水揚げ」。なんとオークションだったとは。しかも、落札の値段が電話連絡されるとは。知らなかった。
完全に「芸者」と「花魁」を一緒にしてしまっているうえに、最も最悪なのは、それでも「芸者は芸事を貫く仕事」みたいな事を言ってしまう大それた矛盾。

此処まで「嗚呼、観なければ善かった。」と思う作品も久しく珍しい。
たぶん『リトル・ダンサー』以来だろうか。

外人のイメージしたニッポンだから、仕方ない。
そう何度も言い聞かせていたとしても・・・
ま、シニカルな笑いが好きな方なら観ても善いのでしょう。

芸者さんや舞子さんは落胆しているか、激怒しているかだろう。
しかし、何故、誰も抗議しないのだろうか。其れが一番不思議だ。
このような映画を公開されて、一番迷惑なのは花柳界の方だろうに。

私の「花魁」系、日本文化。いや、日本風俗文化における参考作品は、『吉原炎上』『陽揮楼』。そして成瀬巳喜男の作品など。
着物姿や襦袢姿の美しさや、日本女性の何とも言えぬ色香などは『百色眼鏡』。
日本人がきちんと作った、素晴らしい作品はいくらでもある。
是等を見れば、この作品の程度が知れる。是非見比べて貰いたい。


時代背景を描くわりには、服装も文化も何もかも滅茶苦茶なこの作品。
私のワースト3に間違いなく入選中。
此のまま、終わりなく、愚痴を続けてしまいそうなので、今日は此のあたりで。


MONIE |MAILHomePage

My追加