Dance日記帳
モクジキノウヨクジツ


2004年04月07日(水) 春うらら

なんてことはない、つぶやき程度の日記。
誰かが暇潰しでナナメ読みしてくれればいいかーという、脱力した状態で続けている。

ふと思ったこと、感じたことを、「個人の日記」なんだからと、かなり一方的な視点で書き綴っている。

そんな、ちょっと綴った言葉に、励ましのメッセージをくださった皆さん、ありがとう。
小さなため息程度の言葉の綴りを受け止めてくれて、そして、反応を返してくれるというのは、本当に嬉しいことです。


さっきまでNHKの「ハルウララ〜春の挑戦〜」というドキュメンタリー番組を見てました。
勝つことはなくても、走り続けるウマ。
正直、たまたまテレビをつけたらチャンネルがそこだったというだけ。競馬には一切興味のない私。
ハルウララについても、「負けてばかりのウマ」ということしか知らなかった。

ハルウララを支える人たち、そして、ハルウララに人生を教わる人たち。


脚を怪我しても、淡々と走り込む。
負けても、ビリでも、希望なしと言われても、淡々と走る。
勝って初めて意味をなす競馬の世界で、負け続けても、笑われ続けても、淡々と走る。
例え、その存在価値がないとまわりから言われても、淡々と走る。

その姿は、ほんとうに迷いがないかのように清々しい。

脳天気な馬鹿ウマというわけでもない。
繊細で、臆病で。

キティちゃんの柄が入ったピンク色のマスクをかぶり、レース前に緊張で脂汗をかいている姿。
面倒をみてくれる調教師がいなくなると、まるで子犬のように寂しげに鳴く様子。
レースが終わったあとの苦しそうな呼吸。
競走馬である前に、たった一頭のウマ。
気のちいちゃな、女の子。

ひとは、他のものに多くを求める。求め過ぎてしまう。
そして、その要求に応えることができないと、存在価値を否定する。
実にわがままである。
そして、「存在価値を否定されたくない」ために、もがき苦しむ自分自身。

ハルウララのドキュメンタリーを見て思ったこと。
自分の存在価値は、自分自身が認めることである。
他人と比較したり、勝手に基準を決めて自分に押し付けたり、そういうのは無意味であるということ。

勝負の世界で、勝負に関係なく、そのひと(ウマ)らしく生きる素晴らしさをハルウララは多くの人たちに伝えている。
これは、やっぱりスゴイことなんだと思う。

そして、そういう世界において、成績をあげないウマを、愛情をもって、大切に支えている人たちの姿が印象的だった。
負けても無事に戻ってくればいい。
そういう暖かい思いが、愛情が何であるかを教えてくれる。

たくさんの人々に本当の感動を与えるのは、俊足のサラブレッドではない。

勝つことではなく、走り続けることに意味がある。


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