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2004年10月24日(日)

びっくり遺伝子。

地震、ありました。
ワタシが住んでいる前橋(震源地新潟の隣県群馬県の県庁所在地)は、発表では震度1から、酷いときでも3くらいだったようですが、体感した人間からは非難轟々です。
確かに、父母は「家がつぶれると思った」というし、
大吉さん(とても可愛らしく優秀なネコ)の避難用にキャリーハウスまで用意した。
ワタシは職場にいたのだけど、女性職員には悲鳴を上げる人もいたので、
やっぱりかなりの揺れだったように思う。
でもお隣高崎は震度5で、倒壊した家屋もあるらしい。
ということは、被害のまったくなかった前橋は、震度3くらいが妥当なのだろうか。
ちなみに、部屋の棚に並べていた温泉バスチョロQは、一台出発して床に転落していた。これが唯一の被害。

ところで。
職場には当時、男性6名、女性5名いたが、
悲鳴を上げたのはワタシが一緒に仕事をしているIさんだけだった。
彼女は、わりとよく悲鳴をあげる。
ちょっと大きな虫が飛んできても、それが自分でなくても、
びっくりして悲鳴をあげ、かるいパニックに陥る。
つまり彼女がびっくり遺伝子ということらしい。
『びっくり遺伝子』が正しい言葉かどうかは定かではない。
しかし、そういう存在は確かにいると思う。
人間はもともと群れで生活している動物なので、
周囲の変化に敏感で、それを群れ全体に知らせる役割の人がいるということだ。
そういう人を『びっくり遺伝子をもっている』と言っていた。
どこで?
う〜ん、そこらへんで(笑)。忘れてしまいました。
けれど。
せっかくのびっくりも、慣れてしまうと用をなさなくなる。
ワタシはもうすでに彼女の悲鳴には慣れっこなので、
「Iさん、棚倒れるからこっちに来たほうがいいですよ」
と、ますます脅かすようなことを言う始末。ちなみにわざとではありません。
本当に棚、揺れてましたんで。

ちなみに。
一番本当にびっくりしていたのは、
新潟出身で家族と連絡がとれなかったUさんと、
小千谷から来た取引先の人だったと思うのよ。
取引先の人は「帰る」と言って会社を出たけど、その時点でもう関越自動車道は封鎖されていた。
無事に帰りつけただろうか。
心配だ。




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