こんな自分、早く捨ててしまいたい。 - 2008年09月26日(金) 最近、やっと親がワタシのこと、心配してくれるようになった。 ワタシは、長女。 年子の妹。 気がついたら、妹が居た。 だから、ずっとしっかりしなきゃって思って生きてきた。 気がつかなかったけど。 でも、いつの間にか、妹が立派に生きてて、ワタシは、自分を否定するようになった。 「心療内科に行ってみたい」 ってことも、ずっと話せなかった。 やっと、勇気を振り絞って言ったけど、親は、仕事が忙しく、ワタシが覚えてる中では、1回ぐらいしかついてきてくれなかった。 診察室に入った時、入院を勧められた。 その後は、多分、一人で帰ったような気がする。 覚えてないけど。 その後も、一人で通院していた。 親は、ほとんど口出しすることは、なかった。 ただ、薬が増えていくワタシを見て、 「そんな、薬ばっかり飲んでてどうするの!!」 って、怒られた。 でも、解らなかったから、飲んだ。 ワタシの精神は、どんどん、悪化していった。 バイトを辞めて、ひきこもって、リストカットした。 不眠、意欲低下、摂食障害・・・。 いろいろ、おかしくなっていった。 でも、親は何も言わなかった。 記憶がないだけかもしれないけど。 自立支援に切り替わる時だけは、全力で否定した。 だから、ワタシは、従ったのに、その医療費は、自分で出した。 毎月、辛かった。 親には、言えなかった。 一人で、悩んでいた。 自立支援は、正式名称が、障害者自立支援法というものだ。 この、「障害者」とついた名称が親は、嫌った。 「あんたは、障害者じゃないんだから」 と、言っていた、ような気がする。 それと、病名すら、否定した。 でも、これは、ちゃんとした心理テストをやった結果、なのに。 それも、聞いてくれなかった。 「気のせいだ」 と、言っていた。 毎日、悪化するのに、苦しいのに、何も言えなかった。 一人だった。 やっと、最後に搾り出した言葉が、 「死にたい」 だった。 我慢の限界。 この前、突発性難聴を発症したときも、ずっと言えなかった。 泣きながら、 「右耳が聞こえない」 って、言った。 親は、その時、 「そのまま、聞こえなかったらどうするの。障害者になっちゃうんだよ」 と、言った。 そんな事を言って欲しかった訳じゃない。 もっと、違う、言うべき言葉があったと、思う。 両手首が痛くて、病院に通ってた時、 まっすぐ歩けなくて、ふらふらで、頭痛くて、多分、バイク運転して帰ったら、事故るなって思った時、初めて、親に 「まっすぐ歩けないし、頭痛も酷いから、迎えに来て」 って、死にそうな声で電話した。 免許を取ってから、初めて迎えに来てもらった。 でも、地獄、だった。 帰りの車の中で、何も言って欲しくないのに、ずっと、親は、ぐだぐだ文句を言っていた。 何も、思考回路が働かないのに、聞いてる方だって、辛かった。 その日は、その後のことは、覚えていない。 というか、途中から記憶がない。 この前、仕事が辛いとか、そんなんじゃなくて、辛くて、もう、生きていたくなくて、親に泣きながら話した。 でも・・・。 結局、理解してくれたのは、妹だった。 今日も、仕事から帰ってきて、ご飯食べさせられたけど、味、しなかった。 「おいしい?」 って、聞かれたけど、 小さな声で、 「うん」 って、言うのが、精一杯だった。 最近、ご飯食べても味しないし、おいしいとも感じない。 ただ、口に入れてるだけ。 仕事から帰ってきて、寝る。 それだけ。 ネットする。 何も、余裕がない。 感情は、辛いって事だけ。 楽しいとも、感じない。 ただ、生きていたくない。 毎日、そう、思ってる。 洋服も、高校生の時までは、買ってもらえた。 支払いの時は、親が 「向こう行ってなさい」 って言って、いくらか解らなかった。 でも、高校卒業したら、一切出してもらえなかった。 だから、バイトした。 その時、ここの洋服が、どれくらいのグレードなのかって初めて解った。 バイトも、毎月、かなりの日数入れていた。 カラオケ行ったりするときも、妹と行ったときは、全部出してあげてた。 何もかも、自分でやらなきゃいけなくなったとき、初めて、いろいろなことを知った。 でも、知りたくない世界ばかりだった。 バイト先で、いじめにあったこともあった。 でも、話せなかった。 担当から、外されて、みんなの標的になって、孤立していた。 結局、リーダー的な人になぜか気に入られて孤立からは、解消されたけど。 バイト帰り、寒い中一人で歩いて帰った事もあった。 1時間以上歩き続けて、体中冷え切った。 その頃から、少しおかしかった。 自分では、気づかなかったけど。 笑顔の裏に隠された、陰の部分を見透かす人なんて、誰もいなかった。 思い詰めてることも、限界だということも。 本当に、ここ10年近く、記憶がない。 ずっと、辛かった、もう、開放されたい。 って、思ったことだけだ。 ここの日記を読み返して、こんな事、あったんだ。 って、思うことばかり。 今日も、ほとんど顔を合わさなかった妹から、メールがきた。 「おやすみ(はあとまーく)」 メールなんて、ほとんどならないから、誰かと思った。 疲れてるのに、ありがとう。 でも、そろそろ限界。 もう、ホントに、本当に、生きていたくない。 27歳にもなって、生きる事も、生きる目的も、希望も失った自分。 親は、ワタシのこと解ってくれているんだろうか? もう、諦めた方がいいのかもしれない。 でも、解って欲しいって思ってしまう。 早く、もうこんな自分とばいばいしたい。 ワタシは、統合失調症と、境界性人格障害、摂食障害、です。 治ることなんてない、この病気。 こんな、自分、早く捨ててしまいたい。 長文、乱文、読んでくれてありがとうございました。 ワタシが、生きている限り、ここは、続けるつもりです。 ...
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