| 2005年04月03日(日) |
ハウルの動く城を見に行った |
最近死種の時間は夕飯の支度にかかるようになりました。 でも例え何もすることがなかったとしても、あの「頬を赤らめてダッシュ→ジャンプで抱きつくホモ」が怖くて見る気になりません。同人誌なら気にならないのに一般作品中でやられると我ながらビビる位引く。 だから多分日記で死種を語るのはこれが最後だろうなあ。
それはともかくとして、日曜日にハウルの動く城(映画)を見に行きました。娘を旦那と旦那実家に預けて一人きりで(淋)。
感想。 途中。原作の方が好きだがこれはこれで面白いかも〜。 ↓ 終わり。原作んが面白い(仏頂面)。
私はスタッフロールを見てから席を立つ主義ですが、今回は途中で席を立ちました。うーん。
以下詳細一応隠し。
てうかですね、原作見ないと特にラストが意味不明だったんじゃないかという懸念があるんですが・・・「ソフィー=魔女設定」ぼかした意味がわからない。
まあそれはある意味些細な問題なんですが(愛の力とかで片付ければいいから)私がちょいと腹が立ったのは、『何だそりゃ!』的なあのハッピーエンド。いやハッピーエンドが悪いとはいわないんだが、だったらあの苦しい感じの戦争描写とか、結構怖かったサリマン先生とか、あれは一体何だったんだ!・・・って感じで。何か、「ただ緊迫した状況を作りたかっただけ」な感じしかしなかったんだが。
実はあんまり脱力したんで、「腹が立った」と認識するまで結構時間かかりました。
原作が「真面目に人を愛することを忘れた」感じのハウルが真面目に人を愛しちゃった感じで落ち着いていたので、余計な戦争ドタバタで肝心の恋愛も自然なまとまりがなくなった感じがしたのですよ。
あとは、ハウルとソフィーなんだが。
まずハウル。 俺は女たらしで一見ロクデナシな、ハリセンでしばきたくなる可愛いハウルが好きだった(爆)。 や、あの王子様なハウルも悪くはないのだが、あれに女の子がぼうっとなるのは当たり前なので何つーかありがたみがない・・・。凄いヤツかと思えば実はロクデナシで、でも根は素直で、でもひねくれててロクデナシで、でもやっぱり実は凄くて、と言った無限ループなハウルとそれに突撃するソフィーが好きだったんでなあ。髪の色が変わったときの「だから掃除はほどほどにしろって言っただろう!」なんかはすごい原作テイストで一瞬嬉しかったんだが、思い返せばその「掃除はほどほどにね」の注意があまりに王子様然としていたので「そりゃソフィーじゃなくてもぼうっと見るだけで聞いとらんわい」と突っ込んだし。
まあそのロクデナシ部分が怪物化に変更されたんでしょう。それ自体はその方が映画映えするとは思うので非難はしない。ただロクデナシが恋しいだけ。不思議なもので映画のハウルが「僕は本当は臆病なんだ」と言ってもうっとり材料が増えるだけだった・・・原作は頷いた後でケリ入れたくなったのに(笑)そして何故か後者が恋しい私・・・。
そしてソフィー。 ぶっちゃけ老婆になった意味がない気がした。時々勝手に若くなっていたが、ずっと若くても違和感なかった。原作の「老婆になった途端生き生きとしてパワフルで可愛い」ソフィーに比べるとちょいと悲しかった。 雨の中ワンワン泣く場面も、ハウルの癇癪に癇癪で返しただけなのでどっちかといえば困った。
あと全然関係ないが、宮崎さんてばクラリス・ナウシカ・髪を切られたシータな、あの髪型がとことん好きねえ、と思った(笑)
見るまでは「ラピュタが少年のための作品で、魔女の宅急便が思春期の少女のための作品で、千と千尋の神隠しが思春期前の女の子のための作品だとしたらこれはお年寄りのための映画なのかしらん」と思っていたんだが、そうではなくて「思春期以後の少女のための作品」だったなあというのが当たり障りのない感想です。 しかし原作が「急転直下でラブラブ」だったのに対して映画が「急転直下でメロドラマ」・・・に見えるのは気のせい・・・?
「原作を1000倍ラブラブにすると映画になる」というのは、自分的には違うなあ。映画しか見てない人には原作を是非見て欲しいと思います。もしかしたら見る順番が違えば映画のステキなところが見つかるかもしれんし。(私は原作から見たから原作のステキなところが目に付きまくった(笑))
二時間後に再会した娘は、ヤバいくらい愛しかったです(笑)
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