回顧録
主人が出先で異変を感じ救急搬送された病院は、足が悪くて免許がない私には不便な場所だったので自宅から徒歩圏の病院に転院した。
最初から重篤だといわれていたからの転院だったけれど、その病院は地元ではなじみの病院だったしそんなに悪い印象はなかった。
病状はよくなかったけれど、それでも意識はあったから、病衣の交換に週2回行ってくれてた娘が「少しは身体を動かせられるようになりましたか?」と訪ねたら「はっ、無理でしょ」と言われたのだ。 その日、娘は泣きながら帰ってきた。
その他、いくつか言いたいことはあるが 今にして思えば最低の病院だったと言える。
コロナ渦で面会がろくにできなかったことも、辛い現実だが一番つらいのは主人だと病院の方針に逆らえずにいた。
ある時期、看護師の話によると主人は娘の名前をしきりに言っていたらしい。 それって、いつ何があってもおかしくないと診断していたのだから 「コロナ渦ですから5分くらいしか会わせてあげられませんが」と 面会を許可してくれてもよかったのでは、と 今 強く思うのだ。 それくらいの慈悲があってもよかろうと。 月2回のリモート面会で病院は事足りているとでも思っているのだろうか。
高次脳機能障害はなかったから、結局 また療養病院に転院したけれど、そこの病院と比べたらやはり2番目の病院は最低だった。
いまはネットで病院の評判も簡単に目にすることができるから、その病院のことを口コミとしてボロクソに書き込みできるけれどそこまではしないでおく。
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