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「 絶対的自我30 −空海さまの御言葉− 」
2016年02月15日(月)

 空海さまの御言葉

「影を畏れて陰を知らず、蝶の如くにして世運(せいうん)に居り」

意味 
 あなたは死を恐れてばかりいて、人としてなすべき徳を積んでいません。
 まるで、蝶のようにふわふわと人生を漂っているだけです。


付言

 徳を積む大切さには同意いたします。しかし、蝶のようにフワフワとした人生しかないのではないでしょうか。徳を積んでも尚、人生は蝶のようなものではないでしょうか。

 空海さまの時代には知れなかった、物質のあり様を私達は知りました。電気を使い自動車を走らせられることで実体験しています。ブッダさまも空海さまも知らなかった物質のあり様を知ったのです。そしてそのことが、私達一人一人を、絶対的自我という枠組みに押し込めるのです。

 福沢諭吉先生のように、ブッダさまとニュートン先生を併せ持つ大聖人を目指すべきなのでしょうか。福沢先生自身の文脈を追いますと、目指しながらも現実不可能な目標としているのが判ります。私達はそこで喘(あえ)いでいます。 

 物質のあり様が判るようになって、ブッダさまとニュートン先生の両面を備えなければならなくなったのです。善いことをして徳を積みましょう。生き方をより善くしましょう。その大切さには同意致します。知識の吸収をどこまでも高めていき人間の小ささの自覚と共に自然科学や工学の発展を目指していくのです。

 そこに私個人の完成はあるのでしょうか。そこに私個人の目標をゆだねることが出来るのでしょうか。そこに邁進できるのでしょうか。私には、蝶のようにフワフワとした生き方しかないのではないか、と感じているのです。遠ざかっていく目標にさらされて、ますますフワフワしていっているように想われます。

 銭、名誉、家族愛、無恥、タバコや薬物などに身をゆだねているだけの人は、空海さまの言葉で救われることでしょう。

 他方、一心不乱にあなたさまの言葉を追い求めている人々は、追い求める力が強くなればなるだけ、途端に、それが出来なくなってしまうのです。

 出来なくなってしまうこと、を見ないように目を潰してしまう人々も出てきてしまっています。そういう人々は、現代の日本を見つめて人々の中に入っていないから出来るのです。携帯電話や自動車を使いながら、無意識の内に無視する枠組みに追いやってしまっています。空海さまの言葉に携帯電話がないことに絶望することなく、理由も何も考えずに使っている人々なのです。

 徳は積んでいきます。しかし、それは今、目の前の現実が善くなり、私の心が世界と一致して、広がる、という効果のみの、心地よい功利的な徳ではないはずです。

 物質がこの私から離れていくという絶対性を、どのように捉え解決すべきでしょうか。躾や教養では決して解けない、この問いは打ち捨てておくべきでしょうか。

 私達は物質によって、蝶と同じように規定されているこの世界のあり様を知っています。もちろん、私の命と蝶の命に差がないことも知った上です。さらに、私は蝶になれない、心を取り出してみなさい、のような工夫された解題のように、この世界のあり様を考えてみたいのです。

 私は、この眼(まなこ)をつぶり、喉を突きとおすことが、物質によって出来るのですから。


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