ものかき部

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「 空の極み 」
2003年11月01日(土)

                『空の極み』    

                                道雪

 腕に感じるざわめき。
心に感じる恋のざわめきのように強くはない。だからこそもどかしくて、じらされて、じらされてくすぐられているようだ。
 小指の下がPCに触れたり、台所の銀色のステンレスを撫でたりするだけでも、移ってくるざわめき。
 体調の悪い時に、肉体が出してくるサイン。
なにかに沈んでいたいのに、くすぐって上がってくる。
普段は、思考に、恋愛に、本に、バラードに、そしてそれらを捉えているという自意識の波に揺られて静かに、奥深くに沈んでいる。
 視界は極端に狭くなり、目線は低くなっていく。
もし、靴下を履かないとざわめきが移ってくるから、靴下に感謝を感じてしまう。
その内に靴下では防げなくなって、布団に感謝するようになるだろう。
 冬になると、繰り返される感謝行だ。

 冬になると、思い出す人がいる。
今でも彼女に対して、感謝を時々する。
風のように、清楚だった人だ。イメージとしては、冬の青々とした空を曇りガラスから眺めたような物悲しさと不透明さを、それでいて受ける印象が正六面体であったと記憶している。彼女自身、3つの面をなんとか心の中で統一しようとしていたのだろう、と思いだされる。彼女の中での要素が互いにぶつかり合い統一される前の荒々しさを、持っていたのだろう。

 20歳と18歳の時に出会った。
どこかのサークルがやっていたダンパのようなものだったと思う。
その後、一回しかダンパに行っていないはずだから、特に印象は強かった。
 やぼったい赤いふわふわのセーターにタイトなミニスカート、胸までのストレートヘアは、トリートメントという言葉を知らなかった。上がるにつれて徐々に太くなる腿には、タイトなミニスカートは似合わなかったし、目が大きく口も大きくて歯並びの悪い緑川登美子には、ふわふわのセーターは似合わなかった。全体が田舎もの丸出しで、笑顔が可愛かったから、まあしょうがない、まだ磨かれていないんだ、という気持ちにさせた。
 男ども4人は、なんだかんだ言っても純粋な東京育ちは1人もいなかったし、ダンパに来たら、「どんなブスでも良いから彼女にする」などと意気を巻いていたモテナイ男達だったのだ。それでも、ちょっと「優位だぞ」と感じるやいなや、相手に対して厳しい要求をしてしまう。登美子に対してもそうやってのぞんだ。
 「こんにちは、初めまして。緑川です。」
 「こんにちは、…
 ところで、どこから来たの?」
「え? えーと、代々木上原です」
「(一同爆笑)  いや、そうじゃなくて出身地だよ。」
「あ…山形県です」
「へー、山形のどこなの?」

 などと会話は続いていって、山形県の名産とかそういう地元ねたになる。こうやって交わされる東京での自己紹介のやり方。大体の地方の順位とかがあって、それがその人の順位になったりする。それでしか相手を判断できない受験戦争で偏差値しか知らない我々が探り当てる人間峻別の基準。
 登美子は、ちゃんとそういうものを感じ取ってはいたものの、出身大学が良かったのか、気さくに話しかけてきた。2人組みだった友達は、なんとかといって視線がえろかったのでそっちに男3人は群がっていった。自動的に二人になって、母方の実家が秋田だとかそういう話で、時間がつぶれていった。
 彼女はダンパに憧れていたせいか、目が潤んでいて盛りあがっているようだった。また、それを見て「似合わねーなー」などと格好つけていたのだが、太腿が気になってしまったし、それに地元も近いし、へたなことは出来ないな、と思ってホテルに誘わず、電話番号を聞いた。前日は、絶対すぐに田舎娘を捉まえてラブホになんて考えていたのだが、意気地なしだから、いつも挫折する。これで何度、男の無念をしたことだろうか。というか、一度もそんなことはした事がなかった。エロ本とかファッション雑誌の白黒ページとかにある記事を読んで、「自分も!自分も!」と思っていただけだ。顔も出身大学も性格も平凡なやつに、渋谷の町を歩いたくらいで声を掛けてきてくれる人なんて1人もいなかったのだ。それでも、どこかでは、「もしかしたら、偶然に、たまたま…可愛い子と知り合えるかも知れない…」と思ったりする。それと同じ事だった。
 正直言って、彼女らしい彼女も大学に入っていなかったし、「どんな子でもいい」と思っていたのを思い出して、電話番号を聞いた。
 潤んでいた目が一瞬下を向いてもぞもぞしていたが、手帳を切り取った切れ端に大きく丸文字で書いてくれた。多分、この子は俺が教えなくても聞かないだろうと思ったけれど、電話番号を聞いて照れた動作が愛らしかったので、もう1つの切れ端に自分の電話番号を書いた。
 横を見ると、まだ、3対1で馬鹿笑いをやっている。もう本命は明らかなのに、それに気がつかないのかどうなのか分からないが、地元の名産品の解説にオヤジギャグを付けて笑いをとっていた。愛想笑いをしながら本命君によりかかったりしたので、とみこの友達とは思えなかった。どうでも良いと思ったが、もう帰りたかった。ボロをとみこに見せたくなかったからだ。彼女はまだ、東京での初めてのダンパだけで、目を潤ませていたかだ。本当はそんな資格がないと思うが、錯覚を通して俺を見ているフシがあった。東京人の資格は、住む住人の1割も持っていないと思う。ファッション雑誌にある一万前後のシャツやジーンズ、2万前後の靴にフリース、4,5万はするコート、それに大学生には手が出せない車、スキーウエァ一式、広いマンションの一室などである。ファッションへの知識やスポーツなどもこなせること、後は容姿端麗にして高等な大学の学歴もお持ちの方々などは、1割にも満たないかもしれない。
 そういった話題を今日はしたくなかった。これ以上する話題がない自分としては、どこのラーメン屋がうまいとかしか残っていなかった気がする。とにかく帰りたかった。丁度朝の5時になり、始発も出る頃だった。
 ただ、先に帰ったら残りの3人に茶化されるのは目に見えていた。それも嫌だった。
とみこは、なんであんな友達と仲がいいのだろうか、最初に思った疑問を考えたりした。いまだに何某の良い所は見当たらない。ダンパが2人をくっつけたのだろうか。とみこはただ、黙って微笑んで彼女を見ていた。東北人らしい粘りっけが、心に染み入っていた瞬間だった。

 それ以後、当たり前というか、型どおりに電話数回して、デートして、家にいって、という手順を踏んでいった。最初はぼやけていたが、彼女が抱えていた3つの要素は徐々にハッキリしてきて、見えるようになっていった。彼女の女子高校時代の写真や先生との関係、友人との付き合い方や、交際歴がないこと、家族の話はしないことなどから、彼女を知っていって、好きになっていった。三ヶ月も経つと、仲間からのやっかみもなくなった。もう次のダンパの話をしたりしていた。何某君と本命君は数回のラブホデートで終わったそうだ。とみこからも何某の話は聞かなくなった。

 それから、10年が経った。
彼女との連絡はもう5年もとっていない。大学にいた時の住所が最後だから、もう連絡は取れないだろう。今は結婚2年目であるが、時々、彼女のことを思い出す。
 膜があるのだ。
 薄い甘い膜がある。手を伸ばして届く距離にはなくて、それでいて視界の切れ間にある膜。その膜が閉息感を感じさせる。
 同棲してすぐに結婚した。子どもはいないし、今の所作る気もない。「作る」と言うのは傲慢なので「産ませてもらう」にしようなどと考えていて、2人で話し合ったりする。
 どこか、守りに入っていたり、なんというか、自分の全て、思ったことや甘えを受けてくれるからこそ、緊張感が欠けてしまった現在。現在、家庭のためという世間的に通る大義名分で自分を、放り投げていた時にはない緊迫感を失ってしまったのだろう。仕事は残業が多いが順調だし、夫婦間で会話もある。世間的な基準では測れない自分の中にある切迫感の基準を満たしていないのだろう。
 まとわりつくピンクの膜は、そういった心理的なものが何となく感じさせる結果だろう。登美子は、ちょっと曲がった性的出会いをしていた。年上にいたずらされていたのだ。それが何某との橋渡しになったのかもしれない。しかし、最初が正常に、一般的に済むと本来もっている軌道に修整されたようである。橋がなくなって、友人関係は切れたようで、俺への音は連れてこなくなったのだ。
 本来持っている東北人としての粘性を、太宰が「津軽」で述べたような恥ずかしがりの気質を、発揮していった。それと同時に冬の空に感じる物悲しさも強くなっていった。とみこは自己主張というものが極度に少なかった。部屋を見ていると、スティングやエレクトーンを好きな事が分かる。壁紙が白くて、家具が茶色に統一されているのも彼女なりのこだわりなのだと思う。しかし、そういったものを押し付けてくる事はなかった。いやもっと言うのならば、言葉に出さなかっただけでなく、態度にすら出さず、感づかせることすらなかった。まるで自分を殺して、殺している自分すらも殺しているようだった。殺されて苦しみのもがきも感じさせなかった。そういう物悲しさ、やませのようなむずがゆい不安を感じさせた。
 ふと、新宿渋谷などの一般的なデートをする時でも、「見たいものはない?」と聞いたり、また、さらに家具のコーナーや、CD売り場に連れていっても、後ろについて来るだけだった。精神的にもそういう感じだった。
 自分の意志を消しているような、物悲しさを感じた。
キムチが、嫌いだったのもうなずけるなぁ、と今では思う。キムチを食べて血流が速くなり「カッカ」して自己主張をするのとは、対蹠点にあった登美子だった。

 その後、幾人かと付き合ったが、皆やはり「自分が可愛い」という甘さを持っていた。付き合いだして慣れるに連れて自己主張が全面に出してくるのを考え合わせると、キムチの甘辛さに近いと思う。女性が好んで食べるケーキの甘さは、同性が感じる甘さであって、異性が感じる甘さはキムチの甘辛さに近い、と感じる。トローリと舌に甘いのではなく、甘さの裏に濃厚で情熱が隠されていて、それでいて時として、ピリリと嫉妬の刺を指したり、独占欲を発揮したりする。
そうやって何回も甘辛さを経験すると中毒になっていくのだ。
 どれほどキムチ度が高いか、その後の女性の評価基準だった。登美子はまったく異質の人だった。

 確かに、妻はなくてはならない人になっている、キムチ的に言うと。しかし、キムチでない関係というのも、もしかしたら異性関係には存在するのかもしれない。2人がなんで別れたかは忘れてしまった。若いからこそ異質な関係を保てたのかもしれないし、一緒にいる時間が短かったせいかも知れない。別れた原因を忘れてしまった今では、何も断定出来ない。とみこを思い出すのは、非日常への逃避かもしれないし、ぶっちゃけて言ってないものねだりかもしれない。人間の飽くなき欲求ゆえに生み出される想像の産物かもしれない。
 
 最近、よく登美子を思い出す。
幸せであって欲しいとかは、まったく思わない。幸せにしたいとかもまったく思わない。多分、2人でいれば、薄い膜は、幸せな時に出来る薄いピンクの膜が張る事はないだろう。それだけは確信する。しかし、それ以上の事を予測するのは難しい。予測が出来ないからこそ、人生本来が持っている意志の強さを常に要求されて、冬に滝に打たれるようにはっきりと進んでいくだろう。
晩秋の青々とした空へ、ざわめきにせかされている。


                    了

                         
  平成12年11月22日            小雪の日に
校正平成15年10月30日            秋晴れの日に

執筆者:藤崎 道雪 



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