「あとで電話するね」
そういったまま、奈緒からの電話はなかった。
私は電話をベッドまで引き寄せ、なぜだか一晩中、ベルが鳴るのを待っていた。
『ケイタイにすればいいのに。便利だよ』
ケイタイを持たない私に、奈緒は口癖のようにいう。
便利なケイタイを持ってるのに、何でかけてこなかったのかな・・・
喉に刺さった小骨のように、
何かが私をイライラさせる。
高校から一緒に過ごしてきた。
しつこいくらいに纏わりついてきていた奈緒が、正直うっとおしかったこともある。
私が他の子と親しくするとあからさまに不機嫌になったりした。
それでも奈緒と過ごすのは楽しくて、卒業後もこうして一緒に過ごしてきたのだ。
最近、私たちの軸は、少しずつずれてきている。
自分は変わらないのに、彼女だけが変わっていくような焦燥感。
シャワーを浴び、身支度をする。
今夜は彼と会う約束。
鏡の中の私。
「・・・化粧で隠せるかなぁ」
目の下のくまを、指でそっと撫でてみる。
年老いてはいない。でも、もうそれほど若くはない。
曲がり角を曲がり始めた肌。
私はそっと目をつぶった。
マンションの階段を小走りに駆け下りると
同じマンションに住む少女が友達と一緒にしゃがんでいた。
「・・・千香ちゃん、なにしてるの?」
「あ、チガヤさん。あそこにね、猫がいるの」
隣にしゃがんでみると、車の下に年老いた猫が丸くなっている。
「この猫ね、うちのおばさんの猫なんだよ。」
「ふーん、ずいぶん年とってるみたいだね」
たまに見かけるが、てっきり野良だと思っていた。
瞳に、野良の強さと孤独が滲んでいる気がしたから。
「そうかー、飼い猫だったんだ、お前」
猫はこちらに一瞥くれると、また目を閉じた。
「おばさんは北小のセンセーなんだよ」
千香ちゃんが通う学校のすぐそばに、もうひとつ小学校がある。
一時期子供が増えたからと学校をもうひとつ建てたのだが、
それ以降子供の数は急激に減ってしまった。
すぐ近所に住んでいても道路一本隔てただけで学区が変わってしまうので
小さい頃一緒に遊んだ近所の子とも
学校が違うということで自然と疎遠になってしまったっけ。
腕時計を見る。もうすぐ8時だ。
「千香ちゃん、学校、遅れちゃわない?」
「あ、いけない。チガヤさん、またねー」
私にも、あんな頃があったはず。
好きなアイドルの事や学校の事だけ考えていればよかった。
でも、それだけだったかな。
あの頃はあの頃なりに、何か悩んでいたかもしれない。
走っていく千香ちゃんたちの後姿を見ながら、ふとそう思う。
「なに考えてる?」
「・・・ん?なあに?」
「お前、なんか他のこと考えてただろ」
「そんなことないよ」
彼の体の下から這い出す。
下着は何処だろう。
「・・・他に、好きな男でもできた?とかいって」
「そんなの、いるわけないでしょ」
彼のキスをうけながら、
家で鳴っているかもしれない電話の事をぼんやりと思っていた。