楓蔦黄屋
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2022年05月10日(火) |
癸亥・理解できないよ、でも知りたいよ |
CDが気軽に聴けるってやっぱいいな。 プレイヤー買ってよかったよ。
おかげでCDが届くのが楽しみになりました。
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イボをとってだいぶ経つ。経過も良好。 鏡みるのが憂鬱だったんだな、とあとから気づく。
こんなに小さなイボですら、自分の顔がイヤになる。
ユニークフェイスのことを考える。
だいぶ昔からとても気になっていることのひとつだ。 私は当事者には該当しないがしかし気になっている。 知人にもそういう人はいないがしかし気になっている。 気になったところで何もできないがしかし気になっている。 本も読んだ。
ユニークフェイスの人、といったって別に そのカテゴリの中にいるわけではなくて その要素を持っているというだけだから もちろん結局は人それぞれだ。 もし知り会う機会があったとしたって、気が合わなければ別に仲良くもならないだろう。
もし当事者になったら、と考えているわけでもない。 その時はその時だ。また別の話。
当事者じゃないからこそ気になる、という領域はたしかに存在する。 当事者からすればムカつく存在のやつ。
なるべくムカついてもらわないようにするにはどうしたらいいだろうと考える。
私にも少なからず「当事者」経験はある。 そこで一番鬱陶しいのは、やはり「当事者として」または「当事者寄りで」接してこられることだ。
当事者にすら当事者として接してほしくはない。 要するに「理解してますよ」できてほしくないのだ。
「理解できないよ、でも知りたいよ」できてほしい。
「おかえりモネ」の脚本家の人もそういえばそうインタビューで言ってた気がする。
まあ、知り会うこともないんだけど。今んとこ。
楓蔦きなり
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