楓蔦黄屋
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2013年08月06日(火) |
そらーにひー はっこーがーれってへぇー |
映画「風立ちぬ」を観てきましたよ。 感想書きますよ。ネタバレになるので、未見の人は読まないでくだちいよ。 あと割と真面目に書いちゃったので、そういうの嫌いな人も読まないでくだちいよ。
以下感想。 ↓↓↓↓↓
いやー、面白かったです。素敵なお話でした。 何かこう、飛行機はバンバン飛んでるけど、 こぢんまりしたというか、閉じた短編みたいな印象を受けました。
言葉遣いが文学的というか叙情的というか、平たく言えばお上品なので そこは個人的にツボでした。 綺麗な言葉遣いというのはいいものです。俺、口悪いけど。
一番心にひっかかったのはやはり菜穂子さんが山に帰ってしまうシーンですね。 「まんまとハマってたまるか」と思ったので意地でも泣きませんでしたが。 哀しいことは哀しかったですが、でも「菜穂子さんが病気じゃなければよかったのにな…」としか観てるこっちとしては祈れないので 「それじゃ物語が成立しないしな…」と諦めるしかないわけですが。
しかしやけに二郎さんがキッパリと 「菜穂子のそばにいるには飛行機をやめて山で付きっきりにならなければいけない、でもそれはできない」と言い切るので その言葉の意味をちょっと考えました。 昨今の映画じゃまるっきり逆の展開が多そうですし、その方が美徳とされている風潮があるっぽいので よくまあこんな現代の、特に女性の反感を買いそうなことをさせたもんだ、ワザとか?とちょっと笑っちゃったんですが。
二郎さんと菜穂子さん同士は愛し合ってるし、婚約もしてるけれども、 でも世界を異にする者同士なんだな、というのが自分の感想です。 ふたり個人という要素は交われるけど、世界が交わることはない。 それが二郎さんの「できない」という言葉の意味なんじゃないかと思いまして。
二郎さんの世界は飛行機だと思うんですが、 じゃあ菜穂子さんの世界は何なんだろうと考えました。
菜穂子さんの世界は二郎さんなのかなあ、と思ったけど、何かしっくりこない。 世界が二郎さんなら、菜穂子さんは一人で死にには戻らないんじゃないかと思うんですよね。 自分にとってのホームグラウンドが他にあるからこそ、「綺麗な思い出だけ好きな人に残す」ってことができるんじゃないかと。
死にに戻ったホームグラウンド、それこそが菜穂子さんの世界。 つまり「山」じゃないか?と思いました。
「山」というのは「現世とは隔たれた、この世ではない場所」とも解釈できます。 結核は不治の病ですから、菜穂子さんはすでに死の世界に片足突っ込んだ「この世のものではない者」とも言えます。 事実、二郎さんは山には行ってない。 でも菜穂子さんからは会いに行ける。 山の者である菜穂子さんが、いっときだけ現世におりて二郎さんのお嫁になる。 こう見るとがぜん昔話、お伽話っぽくなってきますが、個人的にはしっくりきます。
ふたりの結婚式のとき、黒川夫妻が交わした問答のような口上、 あれはなんとなく「山から女が結婚しにおりて来ましたー」「こっちは男でーす、どうぞお入んなさいー」という意味のように聞こえましたが (だいたい合ってるみたいですね) 仲人(異なる世界の行き来を仲介する第三者)がいて初めて成り立つ式、という点を強調してるように思えます。 花嫁の美しさの演出も、「この世のものとは思えない」感満載ですし。
だからこれは、「かぐや姫」とか「夕鶴」とか、そういう類の もともと世界の違う二人のラブストーリーとして見ると、いい感じなんじゃないでしょうか。
まあどう観ようと哀しいことは哀しいんですけど。(まんまとハマってる)
菜穂子さんが病気じゃなかったら、彼女の世界は絵を描くことだったかもしれないですね。 それでも世界が交わることはないと思いますが、 二人が互いに行き来できればそれでいいんです。お互いの世界も、閉じることも消えることもなく、 いつまでも幸せに暮らしました、というお伽話になればよかったのになあ。 まあ間違いなく駄作ですけどね。 でも私は明るい幸せな話が好きなのでどうしてもそう考えてしまうんです。 生きてこそなのです。 だから二人も、大切に一日を一緒に生きたのです。
それにしても二郎さんの完成した飛行機は美しかったですね。 編隊で飛んでるシーンはキラキラのメダカがすいすい泳いでいるようで、 なるほどサバの骨サバの骨言ってたのはこういうことか、と思いました。
二郎さんのセリフとしては発せられてはいませんでしたが、 心血を注いで作った、自分の世界である飛行機が 兵器として使われて、最後はただのクズ鉄に成り果てたという事実は やっぱり相当つらいことなんじゃなかろうかと思います。 戦闘機の設計者であった糸川英夫さんが、大戦終了後に生きる目的を失って 自殺願望でノイローゼになってしまった時期があったそうですが、 もしかしたら最後のシーンの夢、 あのとき二郎さんは自殺を試みて意識不明だったのかもしれません。「夢なんですね。地獄かと思いました」と言ってますし。 でもそこで菜穂子さんが待っていた。そして「二郎さん、生きて」と言った。 最期まで世界を異にすることを貫いた菜穂子さんだからこそ、その言葉が二郎さんには届いて、有効に働いたような気がします。
それにしてもジブリ映画の女性は、みんなどこか自分の世界を生きてますね。 ナウシカのアスベルへの、シータのパズーへの、キキのトンボへの接し方は どこか相手にはすべてを委ねないところがあって、 相手がどうしても入れない部屋を心に持っている感じがしますね。 まあそのことと、個人と個人が愛し合うこととは完全に別問題ですから別にいんですけど。どうでも。 そういう女性、嫌いじゃないですし。つーか、ぶっちゃけ大好きですし。マジいいよね菜穂子さん。 ちなみに私は相手に委ねて全開にするタイプです。勿論相手は選びますが。
いい映画ですが、ただ子供にはつまんない長いだけの映画なので連れてくのは可哀想です。
楓蔦きなり
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