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ケータイが希薄にする/文庫が好き、メモが好き - 2007年07月15日(日)

ネットのニュースだか、そこからリンクされたインターネットリテラシーの特設サイトだかで読んだ話。
どこかの学者さん曰く、ケータイと、ケータイで使えるネットの進化が、コミュニケーションを希薄にしてる、と。
電話がメールになり、プロフやブログになって、勝手に書いて読んでもらうかたちになってる、って。

はじめてmixiをこわいと思って、しばらく人に訴え続けてた「事件」を書いておこう。
何年か前だと思う。学生時代の友人で集まって飲んでた時、その場にいた十数人のほとんどがmixiで互いに日記を読んでいて、読んでいる前提の話が突然始まり、読んでいなかったわたしを含む数人が顔を見合わせて苦笑い、ということがあった。
……これを気持ち悪いと感じるのは前時代的な感覚なのかな。
わたしは今でもたまにしか人の日記を読まずにいるけれど(なにしろあまりに膨大だ)、たまたまその時その話についていけてたら、なにも感じなかったに違いないし。
子どもの頃、親に禁じられてドリフを見なかったせいで学校で話についていけなかったのと、ちょっと似ててだいぶちがうような。

そもそもmixiは「一応」クローズドなシステム自体、パソ通・草の根ネット時代の感覚では(笑)、もう、えらく気持ち悪いんだけど。

×××

で、そんなわたしが、この日記は、出張先のベッドで、明け方に、ケータイで書いてます。
#飲みすぎて一度寝てしまった間に、電源ケーブルを置いてきたパソちゃんは力尽き、ただの重い箱になってしまいました……。

いや、みんなが日記を書くことにも、それをWebで公開することにも、今は好意的な気持ちなんだよ。
一時、あまりにもひとに読まれることを意識していないWeb日記の数々に苛々してた時期もあったけど、書くことは無条件にいいことだと思ってるし(笑)、最近は前述の風潮のおかげで、みんな、ひとに読まれることを意識してるし。

ただ、書くこと自体を肯定するのと、それを読まないとコミュニケーションできないことを肯定するかどうかは、まったく別の問題だからね。
わたしは書くのが好きで書いてるし、もちろん読んでもらえたらうれしいけれど、読んでて当然、だなんて思わないように気をつけたい。わたしは、ね。

×××

字数がなくなってきた。
さっきまで文庫本を読んでました。
文庫本という物体が好きです。つい買ってしまいます。

あと手帳も好き。
手書きの自分の文字もすごく好き!


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