宿題

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2007年03月03日(土) 原田治ノート(2007年12月13日)
東京中で一番好きな「出光美術館」にて『乾山の芸術と光琳』』展を観る。
2000年から発掘調査(出光も参加)をしていた、
京都、乾山の鳴滝窯跡から出土した陶片の研究によって、
この時代は「乾山の壮大な実験室」と調査報告書に書かれたそうだ。
尾形乾山三十代の仕事ぶりがよく解かる。
日本の織部や唐津、中国、朝鮮、ベトナムやタイ、
さらにオランダのデルフト焼きなど、多岐にわたる「写し」を試みていた。
異国趣味が強烈で、何より斬新なデザインが溢れるように出ている時期だったらしい。
この新発見で、ぼくも乾山を見直すと言ったら偉そうだけど、
とにかくどれもこれもが「写し」の領域を超えてしまって、
乾山という人の非凡な才能がはっきりと現われ出ている。 
素晴らしさのあまり、ついボーゼンとして我を忘れてしまった。
これは、ぼくにとっても今年の大発見なのでした。 
江戸時代までの日本美術は広大無辺にして奥が深いねェまったく。
我々が見ているものは、まだ氷山の一角に過ぎないのでは?

もとより乾山は野々村仁清の弟子であるから、
本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳とともに大和絵ルネッサンス
(ぼくの勝手に考えた言葉)の系列に入るのですが、
今までの評価では、尾形光琳の弟として、画家ではなく一陶工として、
いささか偉大な兄貴の後塵を配するの印象が強かったけれど、
この発見研究により、仁清と肩を並ぶ大芸術家であることが証明されたでしょう。

この鳴滝窯のあった元禄時代は、茶の湯の侘び寂び茶碗ブームが終わって、
京都の料理の発達と相まって食器類の需要が増す。
絵唐津の技法でありながら乾山作の、百合の花をかたどった造形の向付は、
唐津焼を超越してモダニズムそのもの。
三次元的な花の形体に、鉄釉による縁取りの二次元的な筆づかいが、
抽象でありながら、さらに自然の息吹を感じさせている不思議さ。
この百合形向付の器に、夏のハモを盛って上に梅肉をのせた料理写真も展示してあり、
器は料理のためにある当然のことを教えてくれる。
旨そうに見せて、さらに陶器の美しさが増すのである、ってね。

f:id:osamuharada:20071213231039j:image:right右の
「染付白彩流水文鉢」は口径が23.2cm。見込にも流水が描かれていて圧巻です。
鳴滝以後の多分五十代の作品。下地に塗る白化粧を、
白い絵具として使っているところも斬新で、
波に沿って縁がかたどられているのは百合形向付と同様のスタイル。
勝手にカタログから転写して申し訳ありませんが、
これは実物(立体)で見なければ何もわからないでしょう。
ぼくは自論である古代の日本人美意識が
この乾山の遺伝子の上にも蘇ったかのように見えました。
五千年前の火焔土器の審美と通底しているなァと。

またこの時期、黄檗山の禅宗の影響下にあった乾山は抹茶茶碗ではなく、
初期の煎茶のための茶碗を多く作る。
中国景徳鎮窯の円筒形の染付け茶碗(これも凄い茶碗だが)を
参考作品として展示してあり、写しのモトがよく解かる。
茶碗にも乾山は様々な手法を試みていて、煎茶好きにとっては、
どれもがただ欲しーいッ!のでした。恐れ多いね。
一番上の写真は「色絵阿蘭陀写横筋文向付」。
阿蘭陀(オランダ)デルフト焼きから来ているはずだけど、
乾山はすっかり自家薬籠中の物にして、
オマケに時代を300年も超越して大変にモダンじゃないですか。
この展覧会がぼくの今年のベストワンです。


★原田治ノート★

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