武田 だから一番いけないのは、自分は舞踏をやっているんだと言いながら、 そのくせ歩行の利益を獲得することですよね。 そうすると非常に醜くなる。 伊藤整さんは歩く人は美しい、とおっしゃってますけども、 高見さんの場合でも最後は歩行になろうと努めたわけですね。 けどやはり踊りがでちゃうわけなんですよ。 それがアナーキズムと結びついたり、左翼と結びついたりしておりますけども、 当人は一生懸命歩いて行こうとしたのに踊りが出た。 そして、その時に、とてもいい踊りが踊れたんじゃないでしょうか。 最初から踊りだと思ったら、とても見ちゃいられない、 ということになりますよね。 だから、そこはむずかしいんですよ。 生きていくことは歩くことなんだ、という点があって、 それでもやむを得ず踊ったりすると、とても美しいし、望むような形になる。 踊りがないと美しくない、と言ってしまってはダメなんですよね。 歩いた結果が、踊りの形になっていればいいんですよ。
★こんにゃく問答/五木寛之×武田泰淳★
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