「ホテルカリフォルニア」などの大ヒットで知られた スーパーグループ「イーグルス」が94年復活を遂げた時、 米国メディアは「地獄が凍りついた!」と報じたのだそうだ。 解散を宣言した82年にメンバーの一人が、 「たとえ地獄が凍りついたとしても、復活はあり得ない」と語ったのを、 ユーモアと愛情のこもった表現で茶化してみせたということだろう。 イーグルスが復活した頃、僕は筋肉少女帯というロックバンドを組んでいた。 筋少は友人と高校生のころに結成したバンド、88年にデビュー。 98年の活動停止までにベストを含め14枚ものアルバムを発表し、 数限り無いライブを日本全国行った。 20代のほとんどをバンドに費やしていたと言っても過言ではない。 バンドというより「日常」と呼ぶにふさわしい存在であった。 だからなんとなく「一生このバンドを続けるのであろうなオレは」 と思ってもいて、解散はおろか、地獄が凍りつく日を見ることも 有り得ないであろう身としては、イーグルスのドラマチックな復活が、 ないものねだりがうらやましく思えた。 ヒントにして、こんな歌詞を作った。
「新曲なんか聞きたかない 昔の曲をやってくれ どの面下げてやってきた ロックバンドの再結成 ママ、パパ、どこに行くの? ママ、パパ、腰をふり マジ?やだ 若くない まだ、バカ、やる気なの?」
結局この曲にメロディーを乗せる機会もないまま、 筋肉少女帯は98年に活動を停止した。 原因はよくあるロックバンドにおけるアレである。 エゴのぶつかりあい、共同体としての疲弊、マンネリ。 全てが恋愛の終末に置き換えられる。 僕などはリーダーでありながら脱退という形で この恋に終止符を打っている。 大江千里さんならズバリ「かっこわるいふられかた〜」と 唄って下さるであろう。
それから気が付けば8年もの歳月が流れていた。 僕は40歳になっていた。 「ま、いちおう」との軽い気持ちで人間ドックなるものを 経験したところ、痛風の気があるなどと衝撃の結果と共に、 もしかしたら死にかかわるかもしれない病の疑いまでが 診断結果で記された。 愛車ポルシェ・ボクスターをオープンにして帰る道すがら、 「俺、もし人生にやり残したことがあったらなんだろう」 とボンヤリ考えたものだ。 「良くない別れ方をした恋人に、もう一度会ってみたいかもな」 と、まるで弘兼謙二が柳沢みきおのサラリーマン漫画の ようなことが思い浮かんだ。 ただ、恋人が女性ではなく、20代を費やしたロックバンドであるという 一点において大きな違いがあるだけだ。
結局後日、体調のほうはさして問題はないと判明した。 でも、パンドラの箱みたいなものである。 一度意識してしまった再会への想いというやつは、 なんだろう?ふくらむばかりで、もう二度と、消えることがないのだ。 何を今さら?未練がましい。 過去を振り返って何になる。 また同じことでもめるだけさ。また同じ原因で別れるだけさ。 後悔しか残らないに決まっている。 いやわかっている。そんなことは100も200も承知の上なのである。 わかってる上で、人生半分を過ぎた今、 いさぎよく昔の恋人に僕は会ってみたくて仕方がない。 我が20代の恋人であった筋肉少女帯に。
とは言えあの恋人は僕に一人のものではなかった。 メンバーというものがいる。 「筋少をテーマとした小説『筋肉少女帯物語』を書くから 許可を得たい」との名目で元メンバーの一人に会いに行き、 「で、ついでなんだけどさ〜」と、オマケを装って再結成を ふってみたところ、「もう俺も大人だしな、過去のことは水に流して」 いいんじゃん?との返事。 それからイモづる式に一人一人を口説き落とし、 イベンターにも相談すると大乗り気。 アッと言う間に復活ライブの日取りが決まってしまった。 12月28日中野サンプラザ。 「THE 仲直り、筋肉少女帯復活! サーカス団パノラマ島へ帰る06」とのタイトルで。 90年代のメンバーによる復活である上、 ゲスト、キーボードに80年代筋少のメンバーだった三柴理も 参加してくれることになった。 「でも、ママうれしいって でも、パパ、待ってたって」 未定の詩に、そう付け加えたい。そしてさらにもう一行を。 筋肉少女帯をまだ知らぬ若者たちのために。 「ボクも行く。スゴイかどうか見てやるぜ。 だってボクらにしてみりゃ、新人バンドさ」
★神菜、頭をよくしてあげよう 098◇ぴあ1161号/大槻ケンヂ★
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