この、NHK505stでのライヴは、2つの大きな意味が込められている。 1つは、ご子息の高田漣さんとの共演。 それはフォーク・ミュージックの持つ極めて大きな要素、 伝承と言う事を見事に具現化している。 伝承とは過去のモノをそのまま伝えると言う事ではなく、 常に現在が足されると言う使命を持っている。 それを、この演奏から感じ取る事が出来る。 もう1つは、高田渡さんのコンディションの良さだ。 漣さんとの血のコラボレーションがもたらしたのか、 それとも別に理由は無かったのかわからないが、 ギターのピッキングの1音1音から、声の隙間にもぐり込んでいる余白も含めて、 力強く、生き生きとしている。 私は、このライヴを番組でオンエアーした時、絶対に作品として リリースされるべきモノだ、と強く思った。 こうして1枚のディスクとして、たくさんの人が繰り返し聴けるのは、大変に嬉しく、 さらには、深い悲しみも伴う。 渡さん、私はこういう演奏が聴きたかったんだよ。 そして、いい時に席を立ってくれた。 漣さんのソロの演奏も織り込めたんだ。 そして、絶妙の席への戻り方だ。 その後、席を立った渡さんは、2度と戻って来なかった。 あなたの席はずっと空席だ。誰も、そこには座れない。 椅子の上には高田渡の音楽が置いてあるから。 それを敷いて座るのは、柄が良くない。
★高田渡/高田漣『27/03/03』の解説/鈴木慶一★
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