勘が鈍ければいっそうよいのです。 わたしの父と祖父は鈍物でなかったために、 ムース協会やなんかに加入せず、むしろ孤独を選びました。 孤独は麻薬や大学のフラタニティーみたいに心を慰めてくれることがあります。 自分の住む社会が民俗社会からどれほどかけ離れているか、 そのことを教えてくれる人間が孤独な人間のそばにいないからです。 私の父が人生最良の日にいっしょにいたのは、若い妻だけでした。 その日、私の両親は一心同体でした。 祖父が人生最良の日にいっしょにいたのは、たったひとりの友達でした。 ほとんど話もしない相手でした━━なにしろ、機関車がものすごい音をたてていたもので。 わたし自身の最も幸福な日について言いますと、 わたしはこれから入れてもらえるシカゴ大学人類学部こそ、 同じような志を持った人々から成る小さな家族だと信じて 大きな幸せを感じていました。
★米国芸術協会における公演(1971年)/カート・ヴォネガット★
|