ゴッホの時代には、十九世紀末的な思想として、 悲劇に殉じることの美しさとか、没落するものの美しさとかってものがあったんだが、 こんにちはそうじゃない。 主張するものの美しさにまでいくべきだ。 なんといっても、ゴッホのいちばんの致命傷は、 自分をみとめさせないで死んだことだな。 いまここで、ゴッホをみとめるっていったところで、 これは徳川夢声と岡本太郎の問題であって、 すでにゴッホの問題じゃない。現在生きていないんだからさ。 生きているときに、みとめさせるか、みとめさせないか。 これくらい、芸術の問題があざやかに、鮮明に、…こりゃおんなじこったけども(笑)。 とにかくだね、どうしてぼくが、あたかも道化役者みたいに、 日本にあらわれちゃいけないんですか。 ピカソとかゴッホとかが、喜劇役者や悲劇役者としてゆるされてるのに、 どうして日本にあらわれちゃいけないんですか。 この日本に、そういうものが生かされなきゃ、恥ですよ。 岡本太郎がいないってことは、みんなの恥ですよ(笑)。 みんなの恥にならないように、ぼくは非常に謙虚にお話をしているんだ(笑)。
━この上もなく謙虚だね(笑)。
くどいようだけど、ぼくだけがやる問題じゃないんだ。 徳川夢声、遅くないんだ。
★徳川夢声の問答有用/岡本太郎★
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