宿題

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2005年11月11日(金) 文人相軽ンズ/武田泰淳
そしておもしろいことには、坊ちゃん、圭さん、道也先生は
(あるいは大学生三四郎、一郎の弟の二郎のような仲介人、観察者、
ほどの良さをくずさない傍役は半分ぐらい)、
いずれも神経衰弱を無視できたと同じ程度に、女性をも無視することができている。
これらのアンチ神経衰弱派は、なるほどお婆さんでも女中さんでも、他人の奥さんでも、
感じのいい女を感じがいいと感じる点では、正常な感覚をもってはいるけれども、
神経衰弱的なするどさ、執念深さ、不可解なほどの底ぶかさで女性にかかずらおうとしない。

漱石の女性たちがいきいきと輝き、人間の多様性を画面いっぱいにくりひろげるのは、
実に、神経衰弱派がムニャムニャとつぶやきはじめ、内省的な男どもの暗さが、
行動グループの明るさを、雲か霧かでつつみかくし、おしのけはじめてからである。

アンチ衰弱派の男たちにとって、神経過敏派が、わかりにくい困った存在であるのと、
全く同じ程度に、ふつうの女性、家庭をつくり家庭を守る女たちにとっても、
わけのわからぬ不安な生物であるにちがいない。
彼女たちは、神経過敏な男たち(多くはまぎれもない知識人)をおびやかしたり、
困らせたり、不意打ちをくらわせたり、ひきよせたり突きはなしたりすることによって、
彼女たちの女らしさをあざやかに示してくれる。
行動派や無神経派だけが男性だったなら、彼女たちはとてもあれだけの魅力を
発揮できなかったにちがいない。


★文人相軽ンズ/武田泰淳★

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