河盛 内田さん、諏訪根自子は聴きましたか。
内田 聞きました。
河盛 どうです。ご感想は…。
内田 帰朝第一回の演奏会を聴きに行った時は呼吸がつまるような気がしましたが、 最初の音を聴いて、実は涙が出た。 大丈夫だと思って、安心しちゃった。 速記に載ると困るけれども、──日本は連合艦隊を失ったけれども、 諏訪根自子が帰ってきたからかまわないと思った。
辰野 全印度を失うとも、シェークスピア在りか。 東京を焦土と化するも百間を生かせか。 根自子君はコンセール・コロンヌのファースト・ヴァイオリンを弾いておった。 カントレールの弟子でしょう・
河盛 カントレールは林龍作氏の先生でもありますね。
辰野 カントレールは日本人のいいお弟子をもっているね。 ゆうべの演奏会で…。
内田 辰野さん、世間話をしましょう。 ゆうべの公会堂では、さすがに煙草をすっていない。 どうも学校の先生をしておった根性が抜けないためか、 そういうお行儀がひどく癇にさわるのでね。 やはりいいなと思った、夕べの会は…学生が多かった。 そのうちに休憩があって、一たん外へ出てまた入って来る。 そうするとぼくから少し離れた前の席に慶応ボーイがいる。 それが火のついた煙草を持って入って来た。 ぼくのステッキの届くあたりに腰かけている。 背中をこつこつ叩いてやろうと思ったが、持ってはいったきりで、とうとうすわなかった。 つまり棄てて来るには惜しかったのだろうね。 しかし持ってはいってみたらそこの空気ですえなかった。それでいいと思うな。
★深夜の初会/内田百間×河盛好蔵×辰野隆★
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