G「わたしの中には、純粋に変わり者の部分と、変わり者のふりをしている部分がまじり合っていますが、 だけど、自分のしていることについて自覚はあります。したくないことはしないですね。 ともかく、自覚があれば、自分の振る舞いは完全に把握できるんです──ほとんどの場合はね。
(毛皮とスニーカーといういでたちで有名になられましたが、その点はどうですか?)
G「その部分は、まったく演技なしの変わり者です。 自分の望まない格好ならやらないでしょうから。 もっとも、変わり者の度合いが自分で調整できることは十分に意識しているんですよ」
◇
(あなたがおっしゃる「面白い」とは、「新しい」ということですか?)
G「予想外の、という意味です──ある程度までは」
G「これはわたしの馬鹿げた説なんですが、創造的な芸術作品が面白くなりうるのは、 何かを意図しているのに別のものになってしまった場合だけですよ」
G「つまりこういうことですね──もとのまま受け入れる部分もないことはないけれど、 自分がやりたかったことをやりつくしてしまったときには、 本当にやりたかった別のことが忍び込んでくるわけだ。だからこそ、たとえば、 『ダラス』のJ・Rがわたしは好きなんですよ。彼の卑劣ぶりはたしかに腹立たしい。 でも何故か好きにならずにいられない。その過程は楽しくもあり、なんだか不安でもある。 『面白い』という言葉の定義として、これは悪くないですね」
◇
(読者が考えているように、あなたは子供が嫌いなのですか?)
G「子供が嫌いだと言ったことはないんですがね。 いとこの子供でケニーという小さいのがいますが、それ以外は、ほとんど子供を知らないんですよ。 ケニーは始終「スター・ウォーズ」の真似をしていますが、とても退屈ですね」
◇
(あなたはインタビューは「死ぬほど嫌」だと言われたそうですが、 それにもかかわらず、かなり頻繁にインタビューを受けておられますね)
G「ええ、まあ。でもわたしは自分にあまり関心がないんですよ。 自分の仕事にも、それに取り掛かっている期間をのぞけば、あまり興味はありませんね ──スリルあふれる娯楽作品じゃありませんし。 以前はひとつの企画や本を仕上げるたび、「素晴らしい作品じゃないか」と思ったものです。 そして丸一日、その本が好きでいられた。そのあいだは、 「これまでで最高の作品だ。神々しいまでの出来じゃないか。俺は天才だ。やったぜ!」 なんて考えているわけです。 いまやそうした気持ちは、三十秒と保ちません。「ふう、終わった」と思うだけで。 作品を書くことで、ある程度の楽しみを得ているのは事実です。 でも、書き終えたあとは、作品に関して何の感情も持ちませんね」
★どんどん変に/エドワード・ゴーリー×リサ・ソロッド★
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