しかし当日の朝、私はつめかけた観客の波によって、ふたたび不安にまきこまれた。
なんと、その大半は、十四、五歳の少女ではないか!
しかも、モデルが歩く舞台の左右はことごとくその少女たちではないか。
その少女たちの眼にこの五十歳のオジンはどう見えるのか?
でも大歓声の中でショウが開幕すると、私はそのことも忘れた。よし。すべてよし。
五十歳にして、はじめてで終りのモデルをつとめるのも、実はかつて望んだことではなかったか。
学生演劇をやったころ、日本の新劇の俳優にはどうして宝塚の男役のような
華やかさがないのかと疑問に思ったことがあった。
今、それよりも華やかに私はショウの舞台にのぼる!ハッピー!
そして光と音楽の渦の中に一歩すすみ出た時、少女たちからいっせいにあがった大歓声は、
「カワユイッ!」であった。
「寛斎パッションナイツ」は私にとって、ひとつの文化革命だった。
「カワユイッ!」と絶叫してくれた少女たちがその一年後『戦メリ』の映画館を
超満員に埋めてくれることになろうとは、まだ知る由もなかったが、
「パッションナイツ」の二十日後、遠い南太平洋のロケに旅立った時、
私は人生で最高にハッピーであった。
★寛斎は越えている/大島渚★
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