他の美点と同じように、忠誠心というのも、
本能的な部分やひどく風変わりなところがあってこそ価値あるもので、
合理的であってはおもしろくない。
それにある年頃になると、またある職種についていると見返りの愛はどうしても、
というのでもない。
愛というのは無我の感情で、一方通行なのだ。
だからこそ町や建築そのもの、音楽や過去の詩人を愛することができるし、
そして特別な気質の人にとっては、神も愛の対象になり得る。
なぜなら愛とは、一つの反射と、その実態とのあいだに生まれるものだから。
これこそ人が、この町に、最後には戻ってきてしまう理由なのだ。
潮流がアドリア海の水を運んでくるように、さらに大西洋やバルト海の水まで運んでくるように。
それのみか、事物はなにも尋ねない。そして要素というものが存在する限り、
その反射物は必ず存在する。
舞い戻ってくる旅行者として、あるいは夢として。
夢というのは閉じられた目の忠誠なのだから。
これこそぼくら人間に欠けている自信なのだ。自分たちの一部も、水だというのに。
★ヴェネツィア・水の迷宮の夢/ヨシフ・ブロツキー★
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