終戦後、満足に食べ物がなくて、ナンキンマメは貴重品だった。
姉の大好物でもあった。夜遅く、姉が1人で勉強している時、
そっと、そっと襖を開けて、
「お姉ちゃん、これ、あげる」
ひとにぎりのナンキンマメを私が手渡したらしい。
「その時、あんたって、いい娘だな、って思った」
姉は照れくさそうにポロっと言った。私が日本橋の会社に勤めていた頃の話だ。
姉にお昼をごちそうになり、高島屋の呉服売場をのぞき、
ペットショップで犬や猫に声をかける。
交差点を渡って、丸善に行くのが姉のお決まりのコースだった。
信号待ちのほんのわずかな間だった。
「それ以来、ずっといいやつと思っているのよ。じゃあね」
声をかける間もなく、姉は人ごみのなかに消えていた。
なんだって!
今度はこっちが覚えてない。
あげたというなら、靴下やセーターを編んであげたじゃない!
あれはきっとダサくって、気に入らなかったんだ。
それにしても、かれこれ三十年も、ひとにぎりのナンキンマメで、
いいやつと思い続けている姉。
★向田邦子の恋文/向田和子★
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