この作品は偶然にも9・11以前に作られたわけですが、
世界に向かうジョナス・メカスの姿勢はいつも、
最も全体主義や国家主義から遠い姿勢と私には感じられます。
考える材料として挙げるにしてもちょっとレベルが低いけれど、、、
ルイ・マルの『五月のミル』という映画を見た人いますか。
あの中で、1968年のフランス五月革命を背景にして、革命に賛同している人たちが、
「革命万歳!」「労働者万歳!」とか言いながら、自分たちのすぐ傍らで
地面を掘っている人たちの存在が見えてもいないという風刺(?)的なシーンがあるんだけど、
メカスこそ、そんなスローガンなんかいっさい口にせず、
地面を掘っている人たちの方を見続けてきた人です。
だから、きっとメカスは、9・11のときにも「反テロ」とも「反戦」とも「非戦」とも、
そんなこと一言も言わなかったのではないかと思う。
9・11以来、世界はまたまたスローガンや大きい概念で動きはじめていて、
イラク戦争の映像を見て、若い人たちが戦争を考える(?)ための
ホームページを立ち上げたりしているけど、
彼らはなぜイラク戦争以前にそういう世界を考えなかったのか。
その理由の一つは、ジョナス・メカスを知らなかったからだと私は思う。
メカスによって、いまここにいる〈私〉が相対化されて、
私と世界がつながることができるのだと思います。2003/09/14(日)16:04:11
◇
いやあ、そんなこといろいろ言わなくても、ジョナス・メカスはいいんだよね。
とにかく、いいんだよね。2003/09/14(日) 16:25:28
★ジョナス・メカス『歩みつつ 垣間見た 美しいときの数々』について/保坂和志★
■保坂さんの掲示板から。
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