一九九六年の十二月十九日に、当時家にいた三匹の猫の中の一番若かった猫が、
ウィスル性の白血病で死んだ。
死ぬ二日前、私は彼の死を覚悟したというよりもまもなく死ぬことを事実として認め、
その途端に胸が、精神と肉体との曖昧な領域にあたる比喩的な「胸」ではなくて、
もろに肉体の、胴体の上の部分を占める、レントゲンで撮影したりなんかする「胸」が、
悲しみで二つに割れるかと思うほど痛くなって、嗚咽すら出てこなかった。
嗚咽なり空気なりがこの体から出るには、きっとこの胸が割れるしかないんだと感じた。
私ももう大人なので「たかが猫のことで」と言う人たちがいることをよく知っているし、
実際に言われたこともあるけれど、その悲しみを何かに例えてわらせることは
結局無駄だからもうしない。
それは知識ではなくてシステムに関わる問題だからだ。
私はあのとき以来、「生」と「死」について、バカみたいに、大人じゃないみたいに、本気で考えている。
★ベイスターズと猫が好きなので・・・/保坂和志★
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