私はムツゴロウというアダ名を有していて、私の身近にいる青年たちは、「ムツさん」と私を呼ぶけれど、
この運用のされ方にもがっかりしている。
このアダ名は、毎日グラフで新しく連載を始める時、編集部で私のアダ名を募集し、
その中から拾い上げたものであった。
後で聞くと、「北杜夫さんのような名エッセイを書いてくれ」という編集長の励しがあったという。
北さんはとうの昔に、どくとるマンボウという別名を駆使して、素晴らしい作品を発表しておられた。
その成功を形だけ踏襲するのには、私はかなりの抵抗を覚えた。
もっといいタイトルがないものかと思った。
北さんは、私の遠い目標であった。それだけに、形をまねるのは身のすくむ思いであった。が、とうとう、
「いいじゃありませんか。ムツゴロウでいきましょうよ」という編集部の意向に負けてしまった。
結果として、それは有り難かった。
道化としての私は、ムツゴロウと呼ばれるにふさわしい。
けれども、仕事をすればするほど、その名がつきまとってくるのにはヘキエキした。
たとえば週刊誌に小説を連載すると、その肩に“ムツゴロウの海洋小説”とことわりが書き加えられていた。
私はそれを見る度に、肉に焼きごてを当てられる感じがした。
単行本が出来てくると、同じことわり書きが表紙に刷りこまれている。
見ていると哀しくなった。私だってそういう扱いには耐えきれぬ神経を持っている。
★一九七六年―夏/畑正憲★
■同じく「別冊新評 畑正憲の世界」から。 動物王国を解散した時の心境、 って解散したことがあったのを知りませんでした。
「昭和51年10月10日発行」となっているのでその頃の話だと思います。
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