今年一年を振り返って、自分がいちばん多く足を踏み入れた店は「まんがの森」上野店かもしれないな、と思う。
洋服屋とは違って、そこでの私はちょっとした違いがよくわかる。
昨日に比べてこの棚が変化したな、とか、これは単行本未収録こっちは収録時に加筆があるのか、とか。
「まんがの森」のなかでは、私はベテラン狩人のように落ち着いて振る舞うことが出来るのだ。
だが在るとき『湯けむりスナイパー』の八巻を手に取りながら、ふと横をみると、
隣の客が立ち読みをしながら薄笑いを浮かべている。うっとりと、得意そうに。
立ち読みをしているだけなのに、このひとは、何故こんなにも得意そうに笑っているのだ、と思って怖ろしくなる。
もしや、俺もおなんじ顔で薄笑いを浮かべているのではないか、と自分の顔に触れてみる。
あ、やっぱり笑ってる。
あわてて笑いを引っ込めながら、いけない、これ以上ここにいては危険だ、と思う。
昔、漫画ファンの集いで、若いファンが手塚治虫に向かって説教を始めた、とういう怖ろしいエピソードが脳裏を過ぎる。
若いファンは漫画を読んでいるだけでどんどん「偉く」なってしまったのである。
カンカンカンカンカンカン。
幻の警告音を聴きながら、私は急いで数冊の漫画を掴んで、危険な「森」から逃げ出した。
★世界音痴/穂村弘★
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