次の二文字の言葉に私は悲しいほど弱い。
「野球」である。
小説『シューレス・ジョー』は映画化され「フィールド・オブ・ドリームス」になったが、
演出で泣かされるような場面はへっへと鼻で笑ってもいられたが、
小説にもあった次の台詞はいかんともしがたく私の「琴線」に触れる。
主人公は自分の幼い娘に次の言葉を語る。
「レフトの選手をよく見ててごらん。
おまえが野球について知らなければならないことは、みんな彼が教えてくれるよ。
ピッチャーがサインをのぞいて投球姿勢に入るときの、レフトの足の動きを見てなさい。
すぐれたレフトはピッチャーがどんな球を投げるか知っているし、バットの角度から、
ボールがどこへ飛んでくるか、そして名人級なら打球の速さまで判断できるんだよ」
どうしてこんな言葉が「琴線」に触れるのか私にだってよくわからない。
「琴線」とはそもそもそうしたものなのだ。
もしかすると「キャッチャーミットが」と聞いただけで涙ぐんでしまうものが存在するかもしれないのだし、
「ほら、二者残塁」もまた、ありえないとは限らない。
なんにせよ、私などいやで仕方ないが意識の壁はつい震えてしまう。
野球にはそうした魔物が潜んでいる。
★牛への道/宮沢章夫★
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