宿題

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2002年11月04日(月) サバイバルダンス/本谷有希子
私と松尾氏との関係はとある演劇学校での講師と生徒。

とは言えもう5年近く前の事になる当時、私は大人計画を全く知らず、

というかぶっちゃけ初めて試験の面接で松尾氏にお会いした時も、

その設立者のオジサマと仲良く二人で座っていらっしゃって、「どっちがどっち?」

と思ったまま、私は飛行機に乗り、地元金沢へと帰ったのでした。


そしてその後、無事入学できた学校で松尾氏は随分とエキセントリックな授業を

私達にお与えになりました。

TRFの曲に合わせて不自由そうに(それでいてとても激しく)体を動かし、

汗だくの真顔で「コレを踊りなさい」と言われた時は衝撃的でした。


当時ウブな田舎娘だった私の本能も流石にそれを「よく分かんないけどちょっとヤバいぞ」

「電波には乗せちゃいけない動きだそ」と警戒し、とにかくぎこちなく体を動かすだけで精一杯。

それを知ってか知らずか松尾氏は更に追い討ちをかけるように

「もう一回ね、次はイェ〜イウォ〜ウってTRFと一緒に歌いながらやって」

とまたしても死んだように虚ろな目で言ってきたのです。

しかも「もっと私を見て!って感じで」とも。


……泣いている女の子もいました。

しかし私を含め、行き場のない大半の生徒達はまるで痙攣患者のようにトリッキーなダンスを

「イェイイェイウォウウォウ〜」と呟きながら踊りました。

あれはある意味本当にサバイバルダンスでした。


強いていうなら私はこの授業で「役者ってここまで自分を捨てて当然なんだ……」

「父さん母さん、有希子が甘かったよ。ゴメン」とショックを受け、目標を書き手に変更したのです。

そうさせるほどあのダンスは恥ずかしくてちょっと出来ない感じでした。


ついでに言うと、最後の授業の別れ際の松尾氏が巣立っていく私達に向かって放った、

「しょうがないよ。お前ら全員深田恭子よりブスなんだから」

みたいな素敵な言葉も未だに忘れられません。


★SWITCH/本谷有希子★

マリ |MAIL






















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