定職のないまま、決まった収入もなく、潮田登久子さんと私は、まほちゃんという元気な子どもに恵まれ、
楽しい生活を送ってきました。
家や車や財産もないし、社会的な地位もありませんが、小さな幸せで毎日が楽しいので、
時間がたつのも夢のうちです。
元気な赤ちゃんには「まほ」という名前が付けられ、
ええ、私はこの小さな生き物が次第に可愛らしく思えるようになりました。
赤ちゃんは、お下がりでもらったサークルベッドの中に置いてあるミルクを自分で勝手に飲んだり、
玩具で遊ぶので、それを遠くから時々眺めるのですが、それだけで私は充分に楽しめました。
―島尾伸三
世田谷豪徳寺の古びた西洋館の二階の一室から始まった三人の生活は、
まほちゃんが生まれて二カ月たった、1978年12月の末の頃からでした。
南に大きく開かれた窓から冬の日差しがたっぷり入るその部屋を、
私たちはいっぺんに気に入ってしまいました。
その時から伸三さんと私の、まほちゃんがご機嫌に遊ぶ姿を見守る、平安な日々が続くのです。
―潮田登久子
自分が大きくなったことを少し申し訳なく思う時があります。
わたしが大人にならなければ、わたしたち家族は小さな家族のままだったかもしれない。
小さな部屋ひとつの中家族3人で大きな窓から陽射しをあびて、いつも昼寝をしていたかもしれない。
時に他人を家族よりも大切に思う事なんて、大きくならなければなかったのに、と。
―しまおまほ
★まほちゃん/島尾伸三★
■好きなものがムダに多いからか、なんでも一番を決めておくのが好きで、 写真集の一番はこの「まほちゃん」。
島尾さんも潮田さんもしまおさんのことも知らずに 古本屋さん等で見つけていたらどんなに嬉しかったことか、 とか思ってしまいます。
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