―”traveling”から”SAKURAドロップス”につながる「楽園」というキーワードに対して、紀里谷さんが考える「楽園」とは?
最近いろいろ考えるんですけど、
「なんでこう…世の中がねじ曲がっていくのかわからない」というのがいつも(僕が)言っていることで、
例えば誰かがいいことをしようとするとすぐにそれを「偽善だ」という人が現れたりとか、
「そんなことをしてもだめだよ」っていう意見がすぐに出てくる。
例えば『楽園』があるとしてもそれを信じられない人がいっぱいいる。
だから案外『楽園』みたいなコンセプトは簡単に出来ることなんだ」というのが僕の持論で、
案外簡単に手に入って、案外簡単に成立できるのに、やっぱり『人』がそれを許さない。
なんの根拠があるわけではないけれども、
それを許さないという人たちが非常に多いということをいつも痛感させられますよね。
「どうせそんなの無理だよ」っていう言い方をして
ネガティブな方向に行く人たちが本当に多いんだなとすごく思いましたね。
それがすごく僕の中では、「そんなこと別にいいじゃん」というのがテーマ。
別にみんながニュートラルにいさえすれば、すごく素晴らしい世界が来るんじゃないの?そういうことですよね。
”SAKURAドロップス”に関してもまったくひねりもなにもないし、ただ単に「こういうのはどうかな?」という僕からの提案。
だから人間もいないということなんだけれども、たしかに自然界は弱肉強食で厳しいんだけれど、
だけどもう少しなんか正直な気がするというか、素直な気がするというかね。
★「楽園」について/紀里谷和明★
|