ミナの新作を見ると、いつも思わず吹き出してしまう。
突拍子もない発想や、気が知れないほど凝った手順と作業は、良い意味で「よくやるよな」なのである。
たとえば、“目をぎゅっとつぶった時に見えるわっか”をなぜ布にしなければならないのか。
しかもその輪の原型はひとつずつ手で切っていてすべて不揃いだ。
「バード」と名付けられた刺しゅう布は、群れをなす鳥の羽の生え具合がそれぞれ違うし、
「トンボ」は確かに“アスファルトに”映った影絵のように見える。
インクのたまり具合や絵の具のにじみ、絣のような技法で織ったネコのとぼけた表情・・・。
人によってはどうでも良いことを愛情を持って忠実に布に再現する。
それは、大量生産的な発想では決してなし得ない仕事だ。
“偶然性”や“無意識”に意味をもたらす作業であるかも知れない。
しかもユーモアやゆとりを交えながら控めに差し出される。
古着を取り入れて、時の経過をデザインに持ち込むデザイナーもいるけれど、
ミナの場合は新しい服で逆にそれを予感させてしまう。
ひとつの服を作るのに要した時間と、買った人が着てからの時間。
その両方の時の流れがさりげなく詰まっている。
――高橋牧子
東京のファッションの中で何かぽっかりと穴があいた場所があって、
そこで皆川さんは何の思惑もなく、ごく自然に自分のものを作り始めた。
最初は誰もそんなに気にしていなかったけれど、やがて少しずつみんなの心の中に静かに入りはじめ、
いつの間にかなくてはならないものになってしまった。
それが私には恐ろしい力に思える。
少しユーモアがあって、やわらかそうで硬くて、とびっきり繊細なミナの世界。
皆川さんの物語は時として恐さをもってるはずで、
それは現実と夢の間を微妙なバランスで行ったり来たりしている。
――平山景子
多くのデザイナーはパリやミラノの写真を手に「こんな感じで」っていう。
でも皆川さんは、コンセプトのイメージの根底からスタートする。
言葉だったり、建築を見てだったり、服以外の要素からも発想する。
この前も、横浜美術館の図書館で、画集を見ながら次のことを話し合ったりして楽しかった。
――五藤三佐樹(和吾毛織)
大資本会社の流れと逆行するけど、僕は10年ハイレベルな価値が保てる生地をつくりたいと言った。
彼も同じように、ヨーロッパのような母から娘に伝わる服を作りたいと言った。
日本でも昔はそうだった。そうなればうれしい。
――木村吉宏(木村染工)
本当に大切なものは気づかれないように在ると思う。
――皆川明
★mina粒子展パンフレットより/高橋牧子・平山景子・五藤三佐樹・木村吉宏・皆川明★
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