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■ 金子みすヾ
ムスメの入学式の日、担任が配った学級通信を覗き込んでがっかりした。
をい! いきなり相田みつをはないだろう。
相田みつをなんか信奉してどうなる。
金子みすヾは許せるが、相田みつをは許せない。
帰宅してから、ムスメの「相田はくさいし、キモイ」という寸評に、まったくだ、とうなづく。
悪い先生じゃあないんだが、あの高校の生徒に、相田はないだろうってことが、わかんないんだろうか?
* * * * *
アラーキーがスチールを撮った映画『みすヾ』の写真集(紀伊国屋書店:\1,143)を、ヴィレッジヴァンガードで買って、しばらく読まずに忘れていた。
さっき、読んで泣いてしまった。
それで、何週間も前の入学式のがっかりを思い出した。
金子みすヾは、静かな港町でどんなにつらい日々を過ごしたことか。
現代ならば、死なずにすんだろう、と誰かが書いていた。
死ねばいいってもんではないが、夭折してこその人というのは、文学史上に必然的に存在する。
何度でも言う。
金子みすヾは許せるが、相田みつをは許せない。
じゃあ、住宅顕信は?
いいんじゃない。
いはらは、境遇を売り物にするモノ書きは最低だ、という。
そんなサイテーな作家の代表格は柳美里である。
夭折してから、境遇が一人歩きするならば、それはそれでいいんじゃないか、とわたしは思う。
2004年04月28日(水)
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