hikachi's Diary
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2003年05月18日(日) 教会の一日。

今日の教会学校は「グレイスタイム」でした。
「グレイスタイム」というのは、教師側のメッセージではなく、
子どもとの対話をし、ディスカッションのように交わる時間です。
母の日と父の日の時期なので、家族について子供達に聞いてみました。

ひか太の発言の番になりました。
「お父さんは、朝ぼくが学校に行く時はまだ寝ていて
 ぼくが寝た後で帰って来るので、よくわかりません。
 オペラに10秒だけ出たりしました。」
「お母さんは、お父さんの代わりにお仕事をしています。」

ぎょ。
それじゃ、お父さんの存在価値がないよ、、、焦りました。
子どもは大人の言うこと、やることをよく見ていますよね。
つまり、私自身の鑑であるわけです。

私や祖父母が常日頃から話している内容を彼なりに解釈すると
そうなってしまうということですねえ。
もちろんそれは事実ではあるけれど、
聖書では「夫は妻のかしらです」とあるのに、
私は日常から全く夫をかしらとして敬うことをしていません。
子どもの端的な表現の中に、そのことが現れていました。

神様、ごめんなさい。



さて、「グレイスタイム」の後は分級です。
今日は、私が幼稚科担当になって初めて、
年中さんと年少さんの兄妹が来てくれました。

CS幼稚科のテキストは、紙芝居形式になっているのですが、
白黒印刷のため、効果を狙うには色塗りが必要です。
今回、私はだれも来ないと見越して、教案もよく読んで
いませんでした。色も塗っていませんでした。

とりあえず、教案を見ながらお話だけはできたのですが、
全く余裕がなく、話すだけで精一杯だったという、、、
その後工作をしたのですが、時間が押していたせいもあって
締めのお祈りさえできずに終わってしまいました。

さて、締めのお祈りができなかったのには
実は別の理由があります。
幼稚科が終わる前に、牧師が私を呼びに来ました。
礼拝前のお祈りをするからというのです。

その段になって初めて、自分が今日の奏楽だったことに
気付いたのでした!! てっきり来週と勘違いしていたのです。
何も準備していません。

幸い、ファミリー礼拝で、いつものCSの奏楽プラスαのような
奏楽でOKであり、曲も過去に経験済みの曲だったので、
ことなきを得ましたが、ものすごい自己嫌悪に陥ってしまいました。

『小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、
 小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。』
(ルカの福音書16章10節)

こういう自分であるということが、とても嫌になりました。


帰宅してからも、とても気が重く、自分が悪いというのに
すっかり教会生活に自信がなくなってしまい、
霊的危機に陥ってしまいました。

別件ですが、先々週のCS教師会でのことも思い出されました。

少し前にCSで、子供達に「みことばを書く」宿題が出されました。
プリントに書かれたみことばを3回書いてくるというものです。
私はこれがとても効果的だと思い、続けることを推奨しました。
そして、一旦は続けることが決まったのですが、後日
他のお母さんから「学校ではないので、それはちょっと、、、」
という意見が出されました。
字を書くことが苦手な子もいるのですよね。。。
そしてそのときに、「CS教師は、形に残ることをやっているという
自己満足に陥って本質を見失ってはならない」という意見が出ました。

それを聞いた時、私はインターネットでディボーション日記を
やっていること自体が、単なる自己満足なのではないかと
非常に耳が痛い思いで恥じ入りました。
凹み系の思考になっている時というのは、どんどんそういう
方向に気持ちが向かって行くものですね。


今日はそのあと、ずっと霊的なうめきの中にいて、
しきりと心で神様に自分の愚かしさを嘆く祈りを捧げていました。
とにかく、祈らずにはいられない心境でした。
でも、こういうときは何をどう祈っていいのかすらわかりません。
だって自分が悪いのですから。。。

そうして1冊の本を取り出しました。

【朝の祈り 夜の祈り】
J.ベイリー著/新見宏訳 日本基督教団出版局刊

これは、1ヶ月分の朝の祈りと夜の祈りが載っている本です。
とりあえず、今日は18日なので、そこの「夜の祈り」を開きました。

すると、まさに今の私のためのような祈りが、そこにありました。

『天の父よ、まことのひくき心と悔い改めとをもって帰って来る
 すべてのものを、あなたはあわれみ深く待っておられます。
 いまあなたの助けを求めるこの小さいしもべの祈りをきいてください。
 この朝わたしは新しい一日の生活に向かっておおしく出発しましたが、
 いまはここに恥ずかしい思いでひれ伏しています。
 わたしの心はなすべきことをしなかったこと、
 なすべきでないことをしたことを思い出して重荷になやんでいます。
 神よ、どうかあなたのいやしときよめのみ力をもう一度送ってください。
 そしてわたしがもう一度、わが主イエス・キリストを通して
 あなたから与えられた救いをしっかりととらえることができますように。』

主は、今日私をうちのめしましたが、ちゃんと脱出の道を準備されていました。
私の祈りは正しく神様の元へ届いているのです。
この祈りを何回も読みました。
霧が晴れたようにすっきり癒されたというわけではありませんが、
大きな慰めとなりました。

今日の一日を通して働かれた主に感謝します。
自分の心を無理矢理感謝に向けるような感謝ではなく、
子どものように素直な感謝を あなたに捧げます。


同日の過去の日記

2002年05月18日(土) 転職志願
2001年05月18日(金) 子供の成長。


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