hikachi's Diary
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今日で有給休暇もおしまい。 これで、この後半年間は有休はないので、 余程のことがない限りカレンダー通りの出勤となります。 (;;)なんか哀しいけど、がんばるじょ。
今日は家庭集会に行って来ました。 西船橋の教会の家庭集会に参加するのは初めてでした。 メンバーは、牧師、信徒5名、幼児2名。 教会でいつも顔をあわせているメンバーですが、 個人的にいろいろ話をすることができて感謝でした。 集会のテーマは「育児について」でした。
この頃ひか太も成長して来て、精神的なケアの必要を感じています。 私の息子だけあって、集団が苦手、マイペースで醒めている子です。 学校でも、いじめには合わないものの、クラスに親しい友達はいません。 休み時間など、寂しいようです。 「ぼくはどうして地球に生まれて来たんだろう」とか 簡単には答えの出ない質問をしてきたりします。
私の信仰は私のものであって、必ずしもひか太のものではありません。 私が「あなたは神様の栄光を現すために生まれた」と言っても、 聖霊が働かなければひか太の信仰にはなりません。 「それは、とても難しい質問だね。お母さんはこう思うけど、 それが本当かどうか、自分で聖書を読んだり、お祈りしたり、 牧師先生や教会学校の先生に聞いたりして、答えを見つけようね。 求めなさい。そうすれば与えられます。と聖書には書かれているから まず、知りたいと思って考えていこうね。」 私にはこれしか言えません。あとは背後で祈るだけです。
今日の集会でも、基本的には何でも祈ること。 究極的にはそこに辿り着く、という結論に達しました。 日常的に、小さなことから、何でもかんでも神様に求め、祈る。 そして、祈りが聞かれたら感謝をささげ、失敗したときは悔い改めの祈りをする。 ひいては、子供に信仰の継承をする場合は、まず自分自身の信仰が 常に祈りと確信に満ちていなければならないということです。
ひえー。
とにかく、絶えず祈る。ここから実践しようかな、と強く感じました。
『事は人間の願いや努力によるのではなく、 あわれんでくださる神によるのです。』 (ローマ人の手紙9章16節)
同日の過去の日記
2001年09月12日(水) ニューヨーク・テロ
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