hikachi's Diary
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今日は主人の祖母の法事でした。 49日と1周忌を兼ねての、納骨式です。
葬儀のときもいろいろ悩みましたが、お寺の儀式にクリスチャンとして どう対応するのか、今回もドキドキでした。 また、葬儀は斎場でしたので、仕切るのは斎場の方です。 今回はお寺での法事ですから、へんなことをしてお坊さんに失礼になってもいけません。 自分の親戚ならなんとでも言えますし行動できますが、旦那の親族にはやはり気を遣います。 主人の両親は理解がある人なので、私の気の済むようにさせてくださいますが、 親戚のみんながどう思うか・・・お坊さんがどう思うか・・・。
聖書には「人を恐れず神を畏れよ」とありますが、 弱い人間としては大いに人も恐れます。
プラスして、現在信仰から離れている主人がどうするつもりなのか、 私はそれを本人に事前に確かめる勇気がありませんでした。
とにかく、焼香せずに列席したのでは何のためにいるのかわかりません。 妥協策として、献花の準備をしていきました。 お花は焼香が何回かあるかも知れないと思い、念のため多めに、4本準備しました。
さて、私たちの焼香の順番です。 本来なら主人が先に行うのですが、促されたとき、彼は私に先に行けといいました。 私はひか太を連れて前に進み出て、献花をして祈りを捧げました。 次は主人です。 どうするかと思っていたら、おもむろに残っている花を持って前へ。 祈りはしませんでしたが、彼も焼香はせず献花で済ませたのでした。
正直、驚きました。 でも、嬉しかった・・・。
この人はやはり、今は放蕩息子だけれど、クリスチャンには間違いない。 息子はいつか必ず、父の御元に帰る。素直に確信することができました。
夫婦が一致した価値観に立てないことは、非常に辛いことです。 私はそのことで神様と主人をある意味ずっと恨んでいたと思います。 そして日々、赦せない醜い自分を見つけて、とても苦しかったのです。 でも、今日の一件で、ずっと心に残っていたわだかまりが わけもなく溶けて行くような気がしました。
やはり、何事も自分の力ではできない。 全ては、神様のみこころによるのだということを 最近のいろいろな体験を通して強く感じています。
人は人を赦すことも、愛することも、神様の力によらなければできないのだ、と。
同日の過去の日記
2001年05月19日(土) 保育園の父母会活動
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