++perilla++
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1995年1月17日午前5時46分。
「午前5時46分」何回聞いただろう。この時間に起きて黙祷したりなんてことはしないけど、神戸人として忘れられない数字。
当時10歳だった私でもいろいろ当時の記憶はあるし、人の命とか、水とか、電気とか、まぁあの当時流行語みたいになってて嫌いだったけど、「改めて大切さを実感した」のは確かだった。
でも、19歳の今、改めてあの状況を考えると、ほんと悲しいことなんやろなぁと思う。他人事みたいな言い方だけど。
自分にとって大切な人、大切なものがあの頃よりもはっきりと認識できるようになってきて、
例えば妹、大好きなあの子、尊敬してるあの先生、 例えば母校、メリケンパークのあの風景、度々行ってる文化ホール、
そういったものを失ったら。
震災で神戸国際会館もかなりの被害を受け、取り壊し、建て直しをした。取り壊す前に、神戸出身のバイオリニストだったかがホールにシャンパンを撒いたとかいう新聞記事が記憶に残ってる。それを読んだ時は、あんまりそのセンチメンタル(?)な気持ちが理解できなくて、「ふ〜ん」って思っただけだった。けど今はなんかわかる。たかが建物だけど、愛着があって、建物に限らずただ見てるだけの風景とかでも、なくなったらすごく悲しいだろうなぁって。
彼女を亡くした高校生の男の子が、彼女の柩に自分の部活で使ってる野球帽を入れてあげたっていう記事もなんか覚えてる。これも当時は「ふ〜ん」に近い感想だったけど、今はこの男の子はどれくらい悲しかっただろうって考えたり、私が大好きな人を亡くしたりしたらどう思うんだろうって考えたりして、すごく胸が苦しくなる。
6000人以上もの人が亡くなったってことは、その何倍もの人が悲しい想いをしたんだろう。その人達が今は幸せに生活してることを祈り、大切な人、大切なものに囲まれて暮らしてる幸せを日々噛みしめながら生きていきたいと思う。
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