2009年05月11日(月) |
インフルエンザ 報道にみる 「 マスコミ 」 への憤り |
「 仮に太陽系と天体の全部が壊れたとしても、君が死ぬのは1回きりだ 」
トーマス・カーライル ( イギリスの歴史家、評論家 )
The crash of the whole solar and stellar systems could only kill you once.
Thomas Carlyle
暇な人間ほど、些細な出来事を大袈裟に騒ぎ立て、すぐに冷静さを失う。
忙しく働いていれば、騒ぎを広めたり、それに絶望したりする暇などない。
冒頭の名言が示す通り、すべての人間は 「 1回だけ死ぬ 」 という共通点があり、「 1回も死なない 」 とか、「 2回以上死ぬ 」 といった例はない。
つまり、自分を死に至らしめる原因というのは、たった一つしかないわけで、それ以外のことに 「 我が身の危険 」 を感じる必要などないはずだ。
もちろん、身の危険だけでなく、大切な財産を失うとか、将来の不安やら、心配の種は他にも考えられるが、「 死 」 以外のことは、やり直しがきく。
ある種の 「 取り返しがつかぬ失敗 」 は、人生設計を狂わせるかもしれないが、生きているかぎり、軌道修正を加えながらの再チャレンジは可能だ。
ちょっとした失敗で絶望し、人生を投げ出したり、死に直結しない心配事で気を病むような人は、考えが足りないか、よほどの 「 暇人 」 なのである。
今年の黄金週間は、自宅で テレビ でも観ながら過ごそうと決めていたが、他に話題もないせいか、新型インフルエンザ の報道ばかりで辟易した。
日本で、毎年 700名前後が インフルエンザ で死亡し、癌など他の疾患を持つ人が、インフルエンザ で死期を早める例は 10000件 ほどある。
それに対し、致死性が低いといわれる今回の 新型ウイルス が、どうして、天地をひっくり返したような大騒動に発展するのか、まるで解せない。
ましてや、インフルエンザ の ウイルス が好む 「 低温 」、「 乾燥 」 といった条件が整う冬は過ぎ、気候は夏へと移ろうとしているではないか。
不測の事態を想定し、日本政府が慎重な予防策をとる姿勢は評価するが、過剰に不安感を煽る マスコミ の執拗な報道ぶりは、常軌を逸している。
今回の騒ぎで思い出すのは、第四次中東戦争による “ オイルショック ” の際、日本中を震撼させた 1973年の 「 トイレットペーパー騒動 」 である。
発端は、大阪 千里中央 駅 にある 「 大丸ピーコック 」 という スーパー で、売場の担当者が トイレットペーパー の特売広告を掲げたことに始まった。
彼らは “ 安売りをしているから ” という意味で 「 早くしないと紙がなくなる 」 と書いたのだが、突然、300人 近い主婦の行列ができてしまった。
たしかに、原油価格の高騰は、紙の価格高騰に無関係ではないが、冷静に考えてみれば、それで紙の供給が減る危険は、まったく考えられない。
ところが、それを 「 物不足の恐怖 」 と曲解した買い物客の一団が殺到し、わずか 2時間 のうちに、店側の準備した 500個 は完売した。
それだけなら、単なる笑い話で済むのだが、その場に居合わせた “ 暇 ” な主婦が知人に 「 流言飛語 」 を伝承し、またたく間に騒ぎは拡大した。
わずかでも流通の知識がある者からみれば、これが “ デマ ” であることは明白だったが、当時の マスコミ は、混乱をいさめる良識を持たなかった。
各地に飛び火した 「 消費者の不安心理 」 を、マスコミ はいさめるどころか煽り立て、その後しばらく、全国的な紙不足が続くことになる。
当時、中学生だった私も、学校で使う ノート が入手し難くなったり、学校の トイレ から紙を持ち帰る輩のせいで、ちょっと迷惑した記憶がある。
この 「 新型 インフルエンザ 騒動 」 が、それと同じとは言わないけれども、国民の不安を煽るばかりで、冷静さを求めない マスコミ の本質は同じだ。
それでもなお、我が身に及ぶ 「 あらゆる危険 」 を排除したいのだと考える方々は、マスク の着用や、予防接種を受けられるとよいだろう。
ただし、危害が及ぶ確率論からいえば、新型 インフルエンザ 感染者より、たとえば、精神病患者を 「 隔離 」 したほうが、よほど安全は保たれる。
殺人事件を含む異常犯罪の多くは、精神病や、心身症など、自己の感情を抑制できない人物が加害者になっており、その大半は隔離されていない。
こういうことを書くと 「 偏見だ 」、「 人権蹂躙だ 」 と反撥される方も多いが、では、新型 インフルエンザ 感染者 の人権は守られているのか。
ほとんど、他人を殺害する危険も無いのに、隔離され、周囲の 「 さらし者 」 にされている彼らにこそ、もっと人権を配慮すべきではないだろうか。
映画化もされた韓国の小説 『 大統領の理髪師 』 の劇中で、お腹の調子が悪く 「 下痢 」 になると、警察に連行され、拷問を受ける場面がある。
たまたま、その当時 ソウル に潜入した北朝鮮の工作員が伝染病の保菌者だったので、ごく普通の民間人すべてが スパイ の疑いをかけられたのだ。
毎年、季節性の インフルエンザ に、無数の人々が感染する中で、致死性が低いとされる今回の感染者だけが、なぜ、その存在を晒されるのか。
もちろん実名は公表されていないが、カナダ に留学していた 「 寝屋川市 の 高校生 」 などと マスコミ に報道されれば、周囲には一目瞭然だ。
人々の、ごくわずかな 「 我が身に及ぶ危険 」 と引き換えに、無実の彼らに社会的制裁を与え、無用な不安感を煽る マスコミ の姿勢に憤りを感じる。
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